こんばんは。只今、過労でなく、過?感動で、ヘロヘロではあります。

昨日、舞台「Blue Bottle~青蝿~」を観て、本日、映画「負け犬の美学」を観てきまして。
先ずは、画像から。(「負け犬の美学」を先にさせていただきます。)

「負け犬の美学」


「Blue Bottle~青蝿~」



今、過、感動なのです。

きっかけは、私が、ファンである【坂本つとむ】が、舞台「Blue Bottle~青蝿~」に、出演する、という事なのですが。

こちらの、舞台、ボクサーものでして。
同じく、「負け犬の美学」も、ボクサーもの、という共通項があり。

テーマにも、共通項は、あるような気がして、両方、観たかったのです。

映画と舞台、フランスと日本、違いはありますが。

人が戦うのは、憎しみばかりでなく、戦う事と、守る事・愛する事は、対義語では、ないでしょう?という、私の気持ちが、ありました。

この二作品は、何か、私の、思いを立証してくれそうで。

結論からすると、やはり、戦う事は、憎しみが機動力じゃないと。それだけでないと。ヒューマニズムの問題に出会いました。

それは、世知辛い都会に、タンポポが咲いていたような、救いでした。

相違点について。フランス映画「負け犬の美学」が、ほのかに香る、ニュアンスに感動したのに対して、
日本の舞台演劇である「Blue Bottle~青蝿~」は、体当たりな激動に感動した、と言えます。濃かった、「Blue Bottle~青蝿~」。

映画と舞台の差?、フランスと日本の差?なんなのでしょうか?

細かな点で、フランス映画「負け犬の美学」にある、目じり、口角に現れるニュアンスに、気づかされ、味わう、ヒューマニズム。感服しました。
男女の愛も、何だか、ちょっとした仕草、スパイスに感じ入りました。
コーヒーのフレンチは、濃い?イメージですが。(笑) この映画に見る、ほのかさ、は、心地よかったです。

映画音楽も、彩りでした。


舞台「Blue Bottle~青蝿~」の後に、映画「負け犬の美学」を、観て。

【坂本つとむ】、舞台にて、担わされているなあと。改めて。

後一度は、観に行かないと、そんな気持ちに、なりました。

学園祭に毛がはえてもない、程度の、経験しかありませんが、私は。舞台で右を向くのを、表現するのに、ちょっと、左を向いてから、右に顔をやるような技、後幾つかの、技を身につけたけれど。

「Blue Bottle~青蝿~」、技は数々あれども、カタチだけではありませんでした。心身、体当たり。

その中で、【坂本つとむ】、担わされているなあと。担わせていただけた、有り難さ、それにつきます。

「ガラスの仮面」にある、舞台あらしにならぬよう、ハーモニーですね。

調和?でしょうか。

こんな経験があります。2ヶ月かけて舞台の用意をして。やっと、並みの、腹式呼吸が、出来ました。が、公演の一週間前でしたか。声量を抑えろと、言われて。「?」だったのですが。

やはり、調和、という問題でした。多分、ハーモニーって、思いやりだと感じるんです。

そう、思いだしたら、ミュージシャン【坂本つとむ】が、どんな、ハーモニーを、出すか、出させていただくか、楽しみに、なりました。千秋楽まで、楽しみは、終わりません。



ちょっと、かいつまんで、聞いた、オコゴトを。引用します。

「シゴトって、万全の状態で、こなすものでないんだよ。」

これには、何年も、頷き続けてます。「こうだったら、あれがあったなら、巧く、シゴト出来たのに。」では、ないようです。

今の自分に言い訳をしないで、いる、それは、私には、【坂本つとむ】の魅力に感じてます。可能性とも、思うんです。

そして、可能性は、自分で見いだす、のみでなく、与えられていると、感じる時に、「ハーモニー」、また、変わるかもです。千秋楽、もう一度、伺いたい、です。

あら?タイトル、映画「負け犬の美学」VS 舞台「Blue Bottle~青蝿~」という問題は、どこに?何処に?ですよね。(笑)

VS なんて思ってませんよ。
戦いでなく。

せめて、私の最初の原点、戦う事と、守る事・愛する事は、対義語ではないでしょう?を、保ちたい、筆者です。

ほのめかすニュアンスも、体当たりも、決して、対義語では、ないでしょう?とも。

千秋楽までの、ナマモノの、成熟?期待しています。
かなり、偉そう。すみません。

「負け犬の美学」、「Blue Bottle~青蝿~」、共に、会期中、ご清栄をお祈りします。

新宿シネマカリテ 様、
すみだパークスタジオ倉 様、

有意義な、時空間をありがとうございます。末筆ながら。感謝。