「初めての男は、たたき台」と誰かが書いていたが、そんな気持ちには、未だなれずにいる。

誰しも、人生の一頁、一頁が、初体験の積み重ねであると思う。だが、あまり清、清い事を書いても、もういい年なので、女として何をしてきたのかと叱咤されそうである。

ので、今日は、ある男に会いに行ってきた。吉祥寺。大好きな「空ゼノン」さんと、その姉妹店の「カフェゼノン」さんに。

等身大と思われるケンシロウ(北斗の拳)に、会ってきた。やっぱり彼はでかかった。添付写真のように、ちょっと寄り添って記念撮影。かなり、恥ずかしかった。

が、相手がフィギュアであると、冷静に観察ができるものだ。胸の傷、眼差し、筋肉質な腕、2、3分でも、かなりじっくり観察できた。

ある意味、こんなにじっくり見つめられた事からして、ケンシロウを最初の男としてたたき台にしようと考えた。

このケンシロウ、見つめてみると、かなりいい男。ここにくれば、必ず会えるし、私のキスも抱擁も拒まない。仕事があるからと消える事もない。私に何も求めない。

ここまで、文章を書いて、苦笑い。私の今の論及を逆算すると、今まで出会った男たちが見えてくる。

いつ会えるか分からないし、キスも抱擁も多分、そっちのけで、仕事があるからと消えるような男に傾いてきたのだろう。で、私に「あるべき論」をぶつける男たち。

でも、自分に厳しく言うならば、それが生身の男なのだよ。

今まで、私はきっとフィギュアのような男を求めてきたのだろう。ならば、上手くいく訳がない。

人形みたいに人を愛すのは、やめないと、一生、ケンシロウの胸に顔を埋める事となる。

ただ、人生すべて、初体験と言いながら、実は、人生は、リハーサルであると思っている。

「一度きりの人生」なんて、リーチをかけられるよりは、真摯に行うが、リハーサルと考えたい。

短い一生で、悔いなくやりつくすなんて方が無理と思うのである。

来世があるか分からないが、最初の男が、たたき台ならば、この(最初の)人生をもたたき台と考えても、私の場合はいいのかもしれない。

ケンシロウの胸に顔を埋めて、思った事、今の私は生身の男には、倦怠感を感じているという事。

焦る事ないんじゃないの?自分。と、いうわけで、しばらくは、ケンシロウ様、よろしくお願いいたします。かしこ。

ひどい、ツーショット。(笑)