前回の続きです...
えーと...兄が津波に流されていたって話からですね!
ある公務員として働いている兄は、震災直後も職務に就き、津波からの避難誘導や確認作業をしていました。
そんな中波が押し寄せ、あっという間に水かさが増し一瞬の間でどうする事も出来なかったと言います。
車に乗ったまま流されて、奇跡的に立っていた木にぶつかって止まり、車内から窓ガラスを割って脱出したそうです。
一緒に車内にいた同僚の方も無事だったようです。
随分後になってから聞いたので、更にびっくりでした。
たくさんの方が命を落とさせれている中、本当に奇跡としか言えませんね。
無事で良かった。
今回都内に引越して来ましたが、私も実は震災直後には県外への避難も考えました。
両親は強く避難を勧めました。
あまり時間はありませんでしたが、悩みました。本当に悩みました。
しかし
家族や任された仕事を投げ出して無責任に逃げることは出来ませんでした。
福島に残ることを決意したのです。
それからは、先日書いたように自己防衛の日々が続きました。
震災の一ヶ月以内に県外に行く機会が多く、たくさんの方と震災の話をしました。
多くの方は心から心配し温かい言葉をかけて下さいました。
しかし中には、福島から来ているという言葉を聞くと目の色を変え、私から避けるように立ち去る方も...
悲しいですが、事実です。
これが風評被害と言うものだと、身をもって思い知りました。
最近、福島県内で製造された花火や橋げたが話題になりましたが、この様なニュースを見ると本当に悲しい気持ちになります。
特にその花火が製造された町は私の住んでいた町です。
例え花火に放射性物質が付着していたとしても、それを打ち上げて周りに飛び散るなんてことがあるだろうかと笑ってしまいました。
ところが、同時に考える事があります。
もし今回の原発事故が福島ではなかったら、自分はどんな風な態度を示すだろうか、と。
他人事だからと風評に流されているかもしれません。
風評や人の話に流さず、しっかりとした自分軸と芯を持たなくてはと最近よく思います。
今回の震災で考えさせられました。
震災前は、はっきり言って福島が嫌いでした。
何もない田舎で、人々の考え方も古い。早く出たいと思っていたのです。
震災後に不思議と地元愛が生まれたのは私だけではないはずです。
今福島県内を歩くと至る所に
I

福島
がんばっぺ 福島

の文字が。
どこを見ても横断幕やポスターが掲げられています。
私もいつか何らかの形で地元に恩返し出来たらと思っています。
県外でも本当にたくさんの方が被害を受けられ、今も苦しんでいる中、自分自身が福島出身ということで福島の被害だけをずらーっと書いてしまいましたがお許し下さい。
日本の一日も早い復興を心から祈っています。
今の想いをだだひたすら書かせていただきました。
乱雑な長文を最後まで読んでいただき、ありがとうございます!
次回からは元気な記事書かせていただきます

最後に...震災後に温かい言葉をかけて下さったみなさん、本当に励まされました。感謝しています。
あゆ
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