ホロヴィッツのアメリカデビュー95周年!世界最高のピアニストに君臨することになる大きな一歩となったカーネギーホールでの歴史的コンサートが、1928年1月12日、13日、15日と3公演行われました。

ロシアから亡命した25歳のホロヴィッツにとって生きていくには何が何でもアメリカでの成功は必須でしたそんな心境の中での公演。




数日前には、ニューヨークのスタインウェイ本社で憧れのラフマニノフに初対面し「3番の協奏曲」を作曲家自身によるピアノ伴奏で夢の共演をしていますが、デビューに選んだ曲は、すでにハンブルクで成功を収めた得意のチャイコフスキーのピアノ協奏曲。この曲を巡って伝説が誕生します。

同じくアメリカデビューとなる指揮者ビーチャムの安全運転なテンポに、ホロヴィッツは自身の持ち味を発揮できず我慢の限界に。「このままではデビュー公演は失敗してしまう。ロシアに帰らないためにも成功したい・・」。そして迎えた終盤でのオクターブでは、誰も聴いたことがない凄まじい速度と情熱で弾ききり、センセーショナルを巻き起こします。

狂喜乱舞する聴衆は、休憩時間になっても席を立たず彼を呼び戻し、永遠のカーテンコールのようだったと。評論家は「鍵盤から煙が出た」と記し、衝撃的なデビューだったことが伝わります。

この公演を聴いたラフマニノフは「あなたは誰よりもオクターブを制覇したが、音楽的ではない」と手紙を送っていますが、後にあれほどまで速く弾いた訳をホロヴィッツから聞いて大笑いしたそうです。

大成功し瞬く間に輝かしいキャリアを築き上げますが、原点となったアメリカデビューを大切にし、祝う記念コンサートを25周年と50周年目に行っています。

デビュー公演の録音は残されていませんが、25周年1953年に演奏した、チャイコフスキーのピアノ協奏曲では、デビュー時の伝説を彷彿させる超人的な演奏です。
髪の毛が逆立つほど興奮すると言われる名録音。オケとピアノが火花散らす競演、オクターブではまさに鍵盤から煙が上がるようで、最後の交差オクターブも楽譜よりも1オクターブ上まで駆け上がる離れ業。
マニア垂涎のプライベート盤LPを所有しています!

50周年の1978年には、アメリカデビュー直前に作曲家と私的な共演が叶ったラフマニノフのピアノ協奏曲3番を演奏。こちらは、映像も残されビデオとDVDが発売されました。



アメリカデビュー当時の演奏。「嬉しいことにカルメン変奏曲では、各変奏ごとに超絶技巧に驚嘆した聴衆が一列ずつ立ち上がっていった」https://m.youtube.com/watch?v=g0FvFi9EXpg



同時期のピアノ・ロールでは、自作のワルツや小品なども聴くことができます。若きホロヴィッツを収めた貴重な記録。

そして我が家の愛器ニューヨーク・スタインウェイ、愛称「B子」は、ホロヴィッツのアメリカデビューの年に誕生!95歳!巨匠時代の音色にいつも魅了されます。