名ピアニスト同士によるデュオは、まさに「夢の共演」。
長年コンビを組まれている、フレイレ&アルゲリッチは、ソロ同様にとってもスリリングですね。
グルダ&チックコリア、キーシン&アルゲリッチ、プレトニョフ&アルゲリッチ、デミジェンコ&アレクセーエフの個性的なデュオも話題になりました。
ギレリス&リヒテルという巨人同士の連続連弾コンサートもモスクワ音楽院大ホールで行われています。
ヴェルヴィエ音楽祭での、8台ピアノによる豪華共演は、まるで野球のオールスターのようです。(エフゲニー・キーシン/マルタ・アルゲリッチ/ミハイル・プレトニョフ/レイフ・オヴェ・アンスネス/ジェームズ・レヴァイン/エマニュエル・アックス/ニコラス・アンゲリチ/ラン・ラン/スタファン・シェイヤ/クロード・フランク)
録音の残されていない演奏史上の黄金コンビは、なんといってもラフマニノフ&ホロヴィッツでしょう
。
ピアニスト黄金時代に君臨した2大王者には、親子のように強い絆がありました。
最初の共演は、1928年にニューヨークのスタイウェイ社の地下ピアノ室で行われます。
ホロヴィッツがアメリカに渡り、敬愛するラフマニノフを訪れた時、『ピアノ協奏曲3番』を作曲家本人のオケ伴奏で弾いたのでした。
スイスやヴィバリーヒルズのラフマニノフの邸宅では、ピアノ連弾や2台ピアノを度々楽しんでいます。
バッハ『平均律ピアノ曲集』を一緒に片手ずつで弾きウォーミングアップし、ラフマニノフ『2台ピアノのための2曲の組曲(作品5、17)や、『交響的舞曲』作品45など演奏していました。
ラフマニノフは、1940年最後の作品となる『交響的舞曲』をホロヴィッツと公開演奏したいと望んでいましたが、実現に至る前に亡くなってしまいます。
しかし、ラフマニノフの自宅に50人ほど招き、2回だけプライベートコンサートを行っています。
その時のプログラムは!
1942年6月15日
モーツァルト:2台のピアノのためのソナタK447
ラフマニノフ:ピアノ組曲第2番作品17
※こちら献呈されたゴールデンヴァイゼルの演奏、共演はギンズブルク
https://www.youtube.com/watch?v=-ib8D6vZUkI
1942年8月?日
モーツァルト:2台のピアノのためのソナタK447
ラフマニノフ:交響的舞曲(世界初演)
(この曲のみ担当パートの記録が残っています、
第1ピアノ:ラフマニノフ 第2ピアノ:ホロヴィッツ)
両コンサートを聴けたという奇跡的な人の感想によると、「二人の演奏者が体験した力と喜びと・・お互いがお互いの偉大を十分に意識していた。最後の音が弾かれると誰もが沈黙したままだった。時が止まってしまったようだった。」(引用文献:グレン・プラスキン著「ホロヴィッツ」音楽之友社P.196)
いかに伝説的な共演であったか,一枚岩となった演奏であったかが伝わってきます。
ラフマニノフは、ホロヴィッツとのデュオを録音したがっていたので、演奏史に残る名盤となる可能性があったのです。
しかし当時のRCAレコード社はそれを”欲しがらなかった”とか。。。
一体何故!!と首を傾げてしまいます。
とはいえ、もしかしたら録音が残っていていつか日の目を見れるのではと夢みています。
ホロヴィッツは晩年、ラフマニノフと一緒によく演奏したシューベルト『幻想曲へ短調』を回想しています。
『それは最高のピアノ連弾でした』と。
こうして画像を結合して、黄金のデュオを想像するしかありません(笑)。
![$進化系ピアノデュオ 伊賀あゆみ&山口雅敏 ♪連弾map♪](https://stat.ameba.jp/user_images/20130307/22/ayumasaduo/e3/20/j/t02200108_0480023612448086072.jpg?caw=800)
参考文献:「ホロヴィッツの夕べ」デビット・デュパル著 青山社
:「ホロヴィッツ」グレン・プラスキン著 音楽之友社
長年コンビを組まれている、フレイレ&アルゲリッチは、ソロ同様にとってもスリリングですね。
グルダ&チックコリア、キーシン&アルゲリッチ、プレトニョフ&アルゲリッチ、デミジェンコ&アレクセーエフの個性的なデュオも話題になりました。
ギレリス&リヒテルという巨人同士の連続連弾コンサートもモスクワ音楽院大ホールで行われています。
ヴェルヴィエ音楽祭での、8台ピアノによる豪華共演は、まるで野球のオールスターのようです。(エフゲニー・キーシン/マルタ・アルゲリッチ/ミハイル・プレトニョフ/レイフ・オヴェ・アンスネス/ジェームズ・レヴァイン/エマニュエル・アックス/ニコラス・アンゲリチ/ラン・ラン/スタファン・シェイヤ/クロード・フランク)
録音の残されていない演奏史上の黄金コンビは、なんといってもラフマニノフ&ホロヴィッツでしょう
![王冠2](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/121.gif)
ピアニスト黄金時代に君臨した2大王者には、親子のように強い絆がありました。
最初の共演は、1928年にニューヨークのスタイウェイ社の地下ピアノ室で行われます。
ホロヴィッツがアメリカに渡り、敬愛するラフマニノフを訪れた時、『ピアノ協奏曲3番』を作曲家本人のオケ伴奏で弾いたのでした。
スイスやヴィバリーヒルズのラフマニノフの邸宅では、ピアノ連弾や2台ピアノを度々楽しんでいます。
バッハ『平均律ピアノ曲集』を一緒に片手ずつで弾きウォーミングアップし、ラフマニノフ『2台ピアノのための2曲の組曲(作品5、17)や、『交響的舞曲』作品45など演奏していました。
ラフマニノフは、1940年最後の作品となる『交響的舞曲』をホロヴィッツと公開演奏したいと望んでいましたが、実現に至る前に亡くなってしまいます。
しかし、ラフマニノフの自宅に50人ほど招き、2回だけプライベートコンサートを行っています。
その時のプログラムは!
1942年6月15日
モーツァルト:2台のピアノのためのソナタK447
ラフマニノフ:ピアノ組曲第2番作品17
※こちら献呈されたゴールデンヴァイゼルの演奏、共演はギンズブルク
https://www.youtube.com/watch?v=-ib8D6vZUkI
1942年8月?日
モーツァルト:2台のピアノのためのソナタK447
ラフマニノフ:交響的舞曲(世界初演)
(この曲のみ担当パートの記録が残っています、
第1ピアノ:ラフマニノフ 第2ピアノ:ホロヴィッツ)
両コンサートを聴けたという奇跡的な人の感想によると、「二人の演奏者が体験した力と喜びと・・お互いがお互いの偉大を十分に意識していた。最後の音が弾かれると誰もが沈黙したままだった。時が止まってしまったようだった。」(引用文献:グレン・プラスキン著「ホロヴィッツ」音楽之友社P.196)
いかに伝説的な共演であったか,一枚岩となった演奏であったかが伝わってきます。
ラフマニノフは、ホロヴィッツとのデュオを録音したがっていたので、演奏史に残る名盤となる可能性があったのです。
しかし当時のRCAレコード社はそれを”欲しがらなかった”とか。。。
一体何故!!と首を傾げてしまいます。
とはいえ、もしかしたら録音が残っていていつか日の目を見れるのではと夢みています。
ホロヴィッツは晩年、ラフマニノフと一緒によく演奏したシューベルト『幻想曲へ短調』を回想しています。
『それは最高のピアノ連弾でした』と。
こうして画像を結合して、黄金のデュオを想像するしかありません(笑)。
![$進化系ピアノデュオ 伊賀あゆみ&山口雅敏 ♪連弾map♪](https://stat.ameba.jp/user_images/20130307/22/ayumasaduo/e3/20/j/t02200108_0480023612448086072.jpg?caw=800)
参考文献:「ホロヴィッツの夕べ」デビット・デュパル著 青山社
:「ホロヴィッツ」グレン・プラスキン著 音楽之友社