東京の漫才は、寄席漫才として発展してきた。

漫才師が落語協会、若しくは落語芸術協会に所属して寄席に上がる。

その様なシステムで、落語の色物として存在してきた。

その日の流れによって、漫才は時間を延ばしたり縮めたり、さらには出番が飛ぶこともある。

その様な伝統の影響で、東京の漫才師には落語家に対して格下である様な認識を持つ者もいる。

 

漫才協会のみに所属する若手にはその様な意識はあまり感じられない。

それはそれで良い事だとは思う。

ただ、漫才協会の現在の集客力では若手を世に出すのは難しいだろうし、芸能プロダクション所属の芸人の寄合である以上独自のプロデュースも難しい。

 

テレビ離れは加速しており、この際盛り上がる時代は戻って来ないであろう。

無くなる事はあり得ないと思うが、今のラジオの様な立ち位置に落ち着くのではないか。

そうなると、テレビは益々大量の芸人を食い潰す事でしか演芸を使えなくなるだろう。

ごく一部の「司会者」が芸人を食い潰す。

かつて芸人だった「司会者」は芸人だったからこそ、芸人を評価し、その面白さを素人に「教えて」搾り取り、飽きさせる。

いかりや長介が言った、テレビという怪物の消化力そのものだ。

 

賞レース漫才が全盛であり、その優勝者は売れるのは間違いない。

だが、毎年毎年増えていく優勝者、大会も増える中この先はどうなのかと不安に思う。

ボクシングの世界王者ですら、ここまで増えるとそれだけでスターにはなれない時代。

◯◯王者もその様になっていくのは必然だ。

 

その先に漫才は残るのだろうか。

東京漫才はこの先どうなっていくのか。

漫才協会はどの様に発展していくのか。

現在の寄席漫才の名人芸はどうなっていくのだろうか。