自決 敗走中、自爆 インパールの記憶 栃木
朝日新聞社
手投げ弾が爆発する音や銃声が何度も聞こえたという。豪雨、ぬかるんだ悪路、飢え、感染症、英印軍の追い打ち……。インパールからの敗走中、絶望した兵士らは自ら命を絶った。
栃木県出身の元軍曹、増茂武三郎さんは2012年2月、「戦場体験放映保存の会」の取材に、そうした場面を語っている。
撤退中、休憩していると迫撃砲弾が襲ってきた。30~40人残っていた部隊の半数が戦死した。
「中隊長が、大勢の負傷兵に野戦病院に行けというと、みんな泣いた。薬も食料もない野戦病院では生きていられない。行けば死ぬのは分かっていた」。それでも、送り出すしかなかった。
機関銃手の同年兵はケガをせずに済んだが、ふらふらの状態になり、「もうダメだ」と弱音を吐いた。「ダメじゃない。頑張れ」。たたいたり、気合を入れたりして、手を引きながら歩いた。
だが、同年兵は「もうダメだ、休ませてほしい」ともらした。曹長は「敵が追ってくる。休んだらすぐに来い」と命じ、同年兵を残した。しばらくすると、後方から手投げ弾の音がした。増茂さんは遺体の指を落とし、遺骨として飯盒(はんごう)に入れ持ち帰ったという。
栃木県那須烏山市の高雄市郎さんも「那須南九条の会」に対し、「水が飲める場所でひと休みして集まっていた人たちが、車座で自爆したところに何回か出くわした」と語った。
高雄さんの証言によると、歩兵第214連隊長の大佐も精神的に追い込まれていた。3千人いた部下の兵士は1千人ぐらいまで減っていた。熱病に侵され、疫痢にもかかり、やせさらばえていた。
「ヒゲだけ伸ばし、目玉は引っ込んじゃって、もう人相が全然かわってしまった」。部下に手投げ弾をよこせと命じるなど、自決しかねない状態だったため、連隊本部の兵隊たちは連隊長の短銃を取り上げ、警戒したという。
宮城県栗原市の菅原利男さん(99)は、精神に異常をきたした者がいたと聞いたことがあると語った。
「ジャングルのなかで、奥さんが面会に来たって言い出した人がいたそうだ。ジャングルに入っていって、そのまま帰ってこなかった、って」(中村尚徳)
人は、耐えきれない困難から逃れる方法として
自死
狂う
等を選ぶ
戦争は、兵士たちにこれらを強制する