日航機123便 ボイスレコーダー | 社会の裏を晒すブログ

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毎日新聞1987年6月20日朝刊による
事故=事件が発生したのは1985年8月12日

事故の2年もあとにボイスレコーダーが公開されている
書き換えられた部分、省略された部分が無いのかどうかも疑わしい

しかし、真実が漏れている部分はあるもの
それをチェックしようとしました

ACC 東京管制区管制所
APC 東京進入管制所
YOK 横田進入管制所
COM 日本航空社用無線

彼らとの交信部分を抜き出しました
管制と事細かに連絡を取っているのです

特に明確なのは
【18・56・26】
(衝撃音)?
の44秒前
18・55・42】

CAP フラップとめな
(APCが呼びかけ、123便に位置を伝える)?

つまり、墜落場所は最初から分かっていたはず

にもかかわらず、
最初の日本のヘリコプターが現場にやっと到着したのは、翌日の午前4時40分。

事故機を空港に着陸誘導せず
救出も遅らせた

??

2000年に入ってから公開された機内のボイスレコーダー

このボイスレコーダーも、事故直後には公開されず、2001年に国土交通省が情報公開法施行に備え、この事故に関する多くの資料を処分した際に、危機感を持った関係者がコピーをマスコミに提供したことで明るみに出たという曰くがある。

123便は、18時28分頃に緊急事態を表す「スコーク7700」を発信し、18時59分以降レーダーから消失する。
そのため、墜落現場が判明したのは、なんと翌日8月13日午前4時30分過ぎ(航空自衛隊救難隊による)であり、救助活動が行われたのは、墜落から14時間後の午前8時半だった。
だが、事故直後に在日米軍が墜落現場を突き止め、救助活動を開始しようとしていたのに、寸前で中止を命じられ他言も禁じられたという証言もある

これは、墜落直後にヘリコプターが一度近づいたのに遠ざかっていった、という生存者の証言とも一致する。

また、日本航空も独自に事故調査を行い、報告書を2002年8月にまとめているが、なぜか非公開である

引用した人の疑問点
・なぜ、重要な証拠であるボイスレコーダーが、公開どころか秘密裡に廃棄されかけたのか? → 何か秘密があったのか?
・本当に、墜落した8月12日中に、墜落位置は分からなかったのか?
(米軍の救助申請が本当なら)なぜ断ったのか?
・なぜ、垂直尾翼がいまだに全て回収されていないのか?
・なぜ、ボーイング社は捜査に協力的ではなかったのか?(これは、今日放送のTV番組で当時の検事が言っていた)

 

安倍狙撃についても

発表は疑問まみれ

それでも、支離滅裂の説明が

正しいものとして公言されていく・・・