原爆投下77年 | 社会の裏を晒すブログ

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広島に原爆を投下した爆撃機「エノラ・ゲイ」は、米スミソニアン航空宇宙博物館の分館に展示されている=ランハム裕子撮影

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ルポ「ヒロシマ」は、週刊誌「ニューヨーカー」からの発注だった。「ニューヨーカー」は優れた小説や評論を掲載し、知的な読者層を対象とすることで知られる雑誌である。その雑誌の編集部が、原爆投下がアメリカの視点だけで語られているのはおかしいと考え、ハーシーにルポを依頼したのだった。

 来日したハーシーはおよそ3週間をかけて被爆者に話を聞いた。取材の際に「私は人道主義の立場から被害調査をしたい」と語ったという。

「1945年8月6日の朝、日本時間できっかり8時15分、広島上空で原子爆弾が閃光を発した。そのとき…」

ルポ「ヒロシマ」はいきなり、その瞬間から始まる。

全身にやけどを負いながら、「水!水!」とうめく人がいる。巨大な火炎が避難の逃げ道をはばむ。家という家がつぶれ、その下から救いを求める声がする。だが、だれも助けてやれない。淡々と事実を重ねるその叙述は、読む人の心を離さない。このルポはジャーナリズムの歴史に残る金字塔になった。 

アメリカ国民はそれまで、「原爆は真珠湾攻撃の報復である」という投下直後のトルーマン大統領(当時)の説明を鵜呑みにしていたが、ハーシーのルポを通して初めて原爆の残酷さを知った。大きな衝撃が走り、原爆使用は間違いだったのではないかと疑問視する声が出始めた。 

今もアメリカで流布されている「原爆が戦争の終結を早め、多くの人命を救った」という正当化論は、実はこのハーシーの「ヒロシマ」が引き起こした原爆批判を受けて、アメリカ政府や軍の側が繰り出した反論だったのである。それ以来、延々と続く原爆投下をめぐる議論の出発点に、このルポがある。

 

「原爆神話」に包まれた1946年のアメリカで、米雑誌が掲載に踏み切った広島ルポ:朝日新聞GLOBE+ (asahi.com)