永井隆氏の遺した言葉。   植草一秀 | 社会の裏を晒すブログ

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永井隆博士の予言

 

長崎医科大学で被爆して重傷を負いながら、医師として被災者の救護に奔走し、「原子病」に苦しみつつ「長崎の鐘」などの著書を通じて、原子爆弾の恐ろしさを広く伝えた永井隆博士。

永井氏は原爆投下で妻を失い、自らも原子病に苦しみ、1951年5月に亡くなった。

 

誠一(まこと)と茅乃(かやの)という二人の子供に託した未来への指針。

それが「いとし子よ」

 

永井隆氏は現代の壊憲論議を予言した。

「いとし子よ。

そなたたちの寄りすがりたい母を奪い去ったものはなんであるか。

原子爆弾。いいえ、それは原子の塊である。

そなたたちの母を、あの優しかった母を殺したのは、戦争である。

戦争が長引くうちには、はじめ戦争をやりだしたときの名分なんかどこかに消えてしまい、戦争がすんだころには、勝った方も、負けた方も、何の目的でこんな大騒ぎをしたのか、わからぬことさえある。

そして生き残った人々はむごたらしい戦場の跡を眺め、口を揃えて

「戦争はもうこりごりだ。これきり戦争を永久にやめることにしよう」

・・そう叫んでおきながら、何年かたつうちに、いつしか心が変わり、何となくもやもやと戦争がしたくなってくるのである。

私たち日本国民は憲法において戦争をしないことに決めた。

どんなに難しくても、これは良い憲法だから、実行せねばならぬ。

自分が実行するだけでなく、これを破ろうとする力を防がねばならぬ。

これこそ戦争の惨禍に目覚めた本当の日本人の声なのだよ。

しかし理屈はなんとでも付き、世論はどちらへもなびくものである。

日本をめぐる国際情勢次第では、日本人の中から、「憲法を改めて戦争放棄の条項を削れ」と叫ぶ声が出ないとも限らない。

そしてその叫びにいかにももっともらしい理屈をつけて、世論を日本の再武装に引き付けるかもしれない。

もしも日本が再武装するような時代になったら、その時こそ、誠一よ、かやのよ。

たとえ最後の二人となっても、どんなののしりや暴力を受けても、きっぱりと戦争絶対反対を叫び続け、叫び通しておくれ。

敵が攻めだした時、武器が無かったら、みすみす皆殺しされてしまうではないか、と言う人が多いだろう。

しかし、武器を持っているほうが果たして生き残るだろうか。

オオカミは鋭い牙を持っている。

それだから人間に滅ぼされてしまった。

ところが鳩は何一つ武器を持っていない。

そして今に至るまで人間に愛されて、たくさん残って空を飛んでいる。

愛で身を固め、愛で国を固め、愛で人類が手を握ってこそ、平和で美しい世界が生まれてくるのだよ。

いとし子よ。

敵も愛しなさい。愛し愛し愛しぬいて、こちらを憎むすきがないほど愛しなさい。

愛すれば愛される。愛されたら、滅ぼされない。

愛の世界に敵はない。敵がなければ戦争も起らないのだよ。」

「戦争に勝ちも負けもない。あるのは滅びだけである」

これも永井隆氏の遺した言葉。

 

ウクライナが核武装していなかったから侵攻されたと主張する者がいる。

これは違う。

ロシアとの戦乱が生じた理由は、ウクライナがミンスク合意を踏みにじったからだ。

ウクライナの政権を転覆した黒幕は米国。

米国が極右勢力と結託して暴力革命によってウクライナ政府を転覆した。

一種の軍事侵攻である。

ウクライナに非合法政府を樹立してこれを直ちに承認したのが米国。

この非合法政府を合法政府に仕立て上げた。

ウクライナの親ロシア勢力が反発した。

その東部2州に対してウクライナ非合法政府が武力攻撃を展開した。

その結果、ウクライナで内戦が勃発した。

この内戦を収束するためにミンスク合意が制定された。

ミンスク合意をウクライナ政府が誠実に履行していれば今回の戦乱は発生していない。

ミンスク合意を踏みにじり、ロシアに対して軍事挑発し続けたのはウクライナとその背後で糸を引く米国だった。

今回の戦乱は、米国が米国の欲する戦乱をウクライナを舞台にして創出したもの。

日本はこの戦乱に加担するべきでないが、最重要兵器であるドローンを供与して戦乱拡大に加担している。

日本の「不戦の誓い」が踏みにじられている。

憲法を破壊して戦争を全面的に遂行する国になることを日本国民は許してはならない。