手と足をもいだ丸太にしてかへし
もうすぐなのか?
イヤ、餓死が早いのか?
転載 お借りします
手と足をもいだ丸太にしてかへし・・・鶴彬の反戦川柳に思う~29号(2009年8月1日)弓仲
昭和初期の戦争突入へひた走る暗黒時代に、
川柳を武器に平和と反戦を訴え続けた
若き詩人鶴彬に関する本を読んだ。
鶴が、冒頭に掲げた反戦川柳などの発表で、
治安維持法違反に問われ、逮捕(1937年12月)・留置されたのが、
野方警察署であった。
特高警察による拷問を含む執拗な「過激」思想放棄の圧力に抗して、
転向拒否を貫いたが為に、野方署留置場での留置は長期に及んだ。
鶴は、留置場の不潔・不衛生・劣悪な環境下で、
赤痢に罹患し極度に衰弱した(1938年8月)。
モノクロベッド①.GIF しかし、釈放されることなく、
戦時中思想犯や政治犯の収容所に使われたこともある
という豊多摩病院に移送され、
自費治療を命じられ、
回復することないまま豊多摩病院のベッドで絶命した(1938年9月)。
享年29歳であった。
尚、鶴の赤痢感染につき、特高に菌を盛られたのでは…とも言われている。
731部隊の人体実験の対象が「丸太」と呼ばれていたことは偶然ではあるまい。