山が崩れるなんぞ普段は意識しない
しかし、土が多い山は大きく崩れるのです
今では、山から1km離れていても、豪雨では、こちらまで崩れる
との認識になっています(市役所など)
豪雨の最中、少し後は、私は山道を通らないです
心配しているのは
・東南海道地震による大津波、50mあっても可笑しくないと思う
・東南海道地震による浜岡原発のメルトダウン、起きる可能性とても大
・近くの活断層が動くこと
転載
「あーっ」聞いたことない娘の声 深層崩壊起きた紀伊半島水害10年
朝日新聞社 2021/09/04 20:00
(私見:具体性に欠ける、と感じる部分が散見、現実にありえない?)
三重、奈良、和歌山の3県に大きな被害をもたらした紀伊半島大水害。3県で山の斜面崩壊が3千カ所を超え、崩壊土砂量は東京ドームや京セラドーム大阪の約80個分にあたる約1億立方メートルに達し、降雨による土砂災害としては戦後最大規模となった。
宇井地区でも大雨は降り続いた。近くの観測では、3日ほどの総雨量が989ミリを記録した。
雨が上がった4日午前7時7分、対岸の山が幅220メートル、長さ350メートルにわたって岩盤ごと崩れた。深層崩壊による大量の土砂は熊野川を越えて河床から高さ約40メートルに達し、そばの宇井地区がのみこまれた。11戸が流され、8人が死亡し、3人は行方不明のままだ。
和代さんはその時、麻紀代さんと一緒に近所の様子を見て回っていた。避難が必要かもと感じ、川沿いにある自宅の玄関に入ろうとした瞬間だった。
「あーっ」
近くで悲鳴を聞いた後、気を失った。「腕のあたりが痛い」。転落して、川にいることに気づき、がれきにつかまった。対岸に渡って救助された。家にいた夫の好久さんも斜面にしがみつき、無事だった。だが、麻紀代さんがいなかった。
自宅は土砂に流され、何もかもなくなっていた。「(悲鳴は)聞いたことのない娘の声でした。もうだめだとわかりました」
6年近くたった17年6月。麻紀代さんは約20キロ下流のダム湖で遺体で見つかった。被災後、好久さんはショックで持病が悪化。19年12月に78歳で亡くなった。「おれが代わってやれたらよかったのに」と何度も漏らしていた。