マニラ城陥落  ”間引き”? | 社会の裏を晒すブログ

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マニラ市街戦

70万人の市民が残留したままで行われた戦いは太平洋戦争では最大規模となる 市街戦 となり、10万人の市民が巻き添えで死亡した。

住民はマニラ城に避難した
日本兵は、住民を盾にすれば逃げ延びられるかもしれないと考え
マニラ城に逃げ込んだ
米軍は、何の躊躇もなく、マニラ城を総攻撃した

”10万人の市民が巻き添えで死亡”させる戦闘を行わせるものは何なのか?


参考

日本空襲
住民46万人殺害

東京を焼夷弾で焼き払った作戦後
空軍の前身・航空軍司令官アーノルドはルメイに言った
「おめでとう」
住民を12万人焼き殺した後の言葉である


世界最強・最凶米軍には
優生思想の”間引き”の免罪符があるのではなかろうか?