▼6人もの人間が変死と自殺  狭山事件 | 社会の裏を晒すブログ

社会の裏を晒すブログ

営繕堂(奈良)・ジェイマップスの悪質度を晒す
社会の裏を晒す

http://ww5.tiki.ne.jp/~qyoshida/jikenbo/057sayama.htm

<1人目>
善枝さんの遺体が発見されてから2日後にあたる5月6日、運送会社勤務の奥富玄ニ(31)が、農薬を飲んで井戸に飛び込み、自殺した。奥富は新居を建てたばかりで、明日が自分の結婚式であった。

奥富は善枝さんの実家である中田家に住み込みで働いていた時期もあり、善枝さんとも面識がある。血液型はB型。字は脅迫状の筆跡と良く似ていたという。

<2人目>
不審な3人組を見たと警察に通報した、情報提供者である田中登(31)が、5月11日、包丁で自分の胸を刺して自殺した。

「警察に協力したのに犯人扱いされた。」と悩んでノイローゼ気味になっていたらしい。

<3人目>
7月14日、中田登美恵(24)が農薬を飲んで自殺。登美恵は善枝さんの姉であり、誘拐事件の時、金の受け渡し役を務めた女性である。石川の死刑判決に相当なショックを受け、その時から精神に異常をきたし始めたと言われている。

<4人目>
昭和41年10月24日、事件から3年5ヶ月が経過していたがこの日、石田養豚場の経営者・石田一義の兄である登利造が、西武線入曽駅近くの踏み切りで電車に轢(ひ)かれて死亡した。
登利造は事件当時は弟の経営する石田養豚場に勤務していた。警察では自殺と断定。

<5人目>
昭和52年10月4日、中田家の次男・喜代治が首を吊って自殺。自分の経営する中華料理店の経営不振が原因とされている。被害者・善枝さんの兄弟は、これで2人自殺したことになる。

この年の8月に石川の無期懲役が確定し、石川は9月に刑務所に入っている。

<6人目>
昭和52年12月19日、この狭山事件について事件を再調査していたジャーナリスト片桐軍三(36)が、東京都豊島区の路地で何者かに襲われ、激しい暴行を受けた。頭骸骨の陥没や骨折、肋骨の骨折などの重症を負い、二日後である21日に死亡した。


変死の関連の内容はここには書かれていません
・善枝さん殺害に関係した変死?
・権力犯罪に関係した変死
”変死”と断定している部分は
殺害者がいる、と言う意味です

変死者の追跡は全くなされていない


狭山事件の関連死者は
権力犯罪の側の関連

林眞須美さんの関連死者は
本人の関連

名張毒ぶどう酒の関連被害者は
奥西勝さんの関連

冤罪被害者の家族は
地獄の苦しみの中で生きてきた
そして自殺も