このようなことは、一杯ある
私たちは、事実であることから判断するしかない
北アルプスで遭難死した反原発運動の草分け・水戸巌教授 今もささやかれる暗殺説
http://www.asyura2.com/20/genpatu53/msg/190.html
山をこよなく愛し、双子の息子さんとよく登っていたという。
チェルノブイリ原発事故が起きた1986年の暮れに、三人で北アルプスの難峰・剱岳に登り
消息を絶った。
警察の打ち切った捜索を仲間が続け、翌年の夏に三人の遺体が見つかった。
『原発は滅びゆく恐竜である』に収録された妻・喜世子さんの寄稿文である[5]。
「
テントのファスナーは閉じていて、谷に向いた面だけにT字型の破れ目があって、
そこから谷筋に向けて体が放り出されたと思われる。
この破れ目は何が原因でできたものか、なぜ靴はテントに残したまま
全員が寝袋と共に靴下姿で谷筋から発見されたのか、頭部の血痕の原因は何か……
『気象遭難説』だけでは説明したことになっていない