日航機墜落は、設計ミスから修理ミスに結び付いたのではないか? | 社会の裏を晒すブログ

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調査の記録 等を知らなくても
圧力隔壁が飛んで墜落したのだから
・設計ミス
・修理ミス
のどちらかしかない
私は設計ミス、という立場をとってきました
そして、修理ミスに結び付いた
当時の、米軍機の行動、自衛隊の行動は
このことを隠すかのような行動、という印象を持った

福一原発はGEの設計
地下に非常用電源を置いていた

米では、ハリケーン対策で、こうするらしい
ここが津波で浸水して冷却不能になり、原発メルトダウン
事故は設計ミスでもある
それを隠すために、米軍の”トモダチ作戦”があったと思っている

詳しく確認したい人は、調べてみてください


日航機墜落現場に派遣された米国事故調査官の手記「修理ミスを発見」

2018/08/12 13:52

 本誌が独占入手した日航ジャンボ機墜落事故で事故調査に加わった米国人調査官の手記は、かつて大きな反響を呼んだ。ボーイング社側が当初、爆弾テロの可能性を疑っていたことや、事故直前に日本航空が事故機の老朽化に気づいていたことなど、数々の「新事実」が明らかになったのだ。御巣鷹山から33年――。その貴重な手記を再録する。
 日航ジャンボ機墜落事故では、機体メーカーのボーイング社を抱える米国の「国家運輸安全委員会(NTSB)」も、事故発生直後に、調査官ら約10人を群馬県・御巣鷹の尾根の墜落現場に派遣した。運輸省航空事故調査委員会(現在の運輸安全委員会)の調査を支援するのが目的だった。
 今回本誌が匿名を条件に内容を入手した手記の筆者は、その調査に加わった米国人調査官の一人だ。
 手記は、事故発生から1週間後の1985年8月19日夕、米国調査団のみで開いた会議の様子から始まっている(原文は英語)。
<今回の事故では急減圧により(機内で)霧が発生した。すでに現場を見ていたボーイングの専門家が後部圧力隔壁を点検し、修理ミスを発見したと述べた>
 修理ミスは事故の7年前、別の事故でボーイングがこの隔壁を修理したときに起きた。2列のリベット(鋲)でとめるべきところを1列でとめてしまったため、強度不足になった隔壁が飛行中に破れ、機内の空気が尾部へ流入して垂直尾翼を破壊し、事故機は制御不能になった。これが事故の真相だった。
<しかし、ボーイングの担当者は、隔壁は(修理ミスによるのではなく)墜落時の衝撃で破壊されたと述べた。私たちはその説明を注意深く傾聴した。彼の「疲労の痕跡が無い」との説明は気になった>
「疲労」とは、強度不足の隔壁が長い時間をかけて割れる現象のこと。これが確認されれば、修理ミスが原因だったと特定できる。だが、ボーイングは当初、修理ミスの影響を否定した。
 米国の調査官らはこの説明に疑問を抱き、"核心"へ迫っていった。
 <ある調査官はその夜、ホテルで事故機の飛行回数をもとに計算した。その結果、疲労が起きた可能性があると考えた。そして、できるだけ早く事故現場に行きたいと言い出した>
 翌8月20日、調査団はヘリで現場に降り立った。
<調査官がボーイングの専門家に隔壁の破壊面の型をとってほしいと頼んだ。彼は「隔壁は墜落で壊れたのが明らかだから、時間の浪費だ」と依頼を拒否した>
 破壊面の型を電子顕微鏡で見れば、疲労があったかどうか確認できる。ボーイングはそれに同意しなかったわけだ。さらに、
<ボーイングの別の専門家は爆発の兆候を探すために隔壁を試薬でふいていた>
 つまり、爆弾テロの可能性を疑っていたわけである。たしかに事故直前の6月、エア・インディアのジャンボ機が爆破テロで墜落していた。しかし手記は記す。

© Asahi Shimbun Publications Inc. 提供 墜落した日航ジャンボ機の車輪(C)朝日新聞社
<爆発の証拠がないことは明らかだった。疲労を認めないために、ボーイングのチームはできることすべてをしているように見えた>
 そして、ボーイングの頑なな態度からプレッシャーを感じる調査官の心境も率直につづっている。
<しばしばボーイングと当局の対応がそうであったように、私たちはボーイングの思うようにさせるべきだろうか。それとも調査官としてここに送り込まれた仕事をすべきだろうか。結論は明らかだった。真実追究に徹しようと決心した>
 調査に加わった日本の航空専門家はこう証言する。
「ボーイングと米国の調査官が、事故原因をめぐってこれほど対立していたとは知りませんでした。当時はジャンボ機は墜落しないという安全神話があったので、ボーイングもそうした思い込みをもとに、他の原因を探していたのでしょう」
 米国側がなぜ修理ミスに気づき、ボーイングがどう反応したのかについては、これまで謎に包まれてきた。そのため「ボーイングとNTSBが組んで、設計ミスを隠蔽するため、修理ミスを原因にしたのではないか」といった"陰謀説"すら流れた。
 だが、事実は逆で、航空事故の調査経験が乏しい日本側が解明にてこずるなか、「修理ミス」が原因だったと事実上立証したのは、米国の調査官たちだったわけだ。
「もし彼らがボーイングに抗していなければ、日本側だけで修理ミスを原因と立証できたかどうか」
 前出の専門家も驚きを隠さない。
●設計段階と違う客室の高い気圧
 また、手記は事故の2カ月前の85年6月、日本航空(JAL)が技術者チームをボーイングへ送った新事実も明らかにしている。
<JALがチームを送ったのは、ボーイングが通知したジャンボ機の老朽化対策に事故機が入っていない理由を聞くためだった>
 手記はそう記す。
 事故機は日本の国内線専用に造られたSRと呼ばれるタイプで、離着陸回数が特に多いものだった。
<ボーイングはSRの客室の気圧を(国際線の機体より)低くすることで、合意したはずだと話した>
 SRの設計時、ボーイングは離着陸回数が増える代わりに、客室の気圧を低めにすることで、胴体の負担が変わらないようにした。気圧の切り替えスイッチも付いていた。しかし、
 <JALの技術者は戸惑った表情になった。そして「我々は常に高い気圧にして使っている」と話した>
 客室の気圧は高いほうが耳鳴りがせず乗り心地がいいし、高高度を飛べて燃費も向上する。そのため、事故機は高い気圧にしたまま飛んでいたと思われる。
<この結果、事故機には設計よりも高い負担が胴体に加わっていた>
 手記にはここまでしか書かれていない。
 日本の事故調査委員会の元委員は、こう指摘する。
「事故機の客室の気圧が低ければ、隔壁が破れる時期が遅れて、事故が起こる前に整備点検で修理ミスを見つけられた可能性は高まっただろう」
 当時のJALの整備担当者は、
「修理ミスさえなければ、たとえ気圧を高めにしていても事故は起きなかった。また、客室の気圧を低くすると、亀裂の進展は遅くなるので、修理ミスを見つけやすくなるとは限らない」
と反論するが、当時の運輸省の担当者は、
「客室の気圧だけでなく、SRにはさまざまな老朽化による問題があり得た。JALに検査をさせていた矢先だった」
と、予兆を感じていたことを打ち明ける。
 2002年に中華航空のジャンボ機が修理ミスによる疲労で空中分解するなど、疲労による航空事故はその後も続いている。
 今回の手記は、メーカーは簡単には疲労を認めないこと、航空会社は経済性を優先しがちなことを示唆している。25年前の事故をめぐるボーイングの“ダッチロール”から学ぶべきことは、今なお少なくない。
※週刊朝日 2010年8月20日号より抜粋