2017年に他界した父の遺品だったマリンバは仙台フィルの打楽器奏者、前田君が引き取ってくれることになりました。



父は教員でしたが、本当は演奏家になりたかったようです。

昭和10年、1935年生まれの父ですが、高校生の頃にマリンバのレッスンを受けに新潟県三条市から東京へレッスンに通っていた(夜行列車で)、というのですから、気持ちはマジだったのでしょう。

本人曰く、

「オヤジ( 僕にとって祖父。会ったことはない)に演奏家になりたい、と言ったら『そんな喰えない仕事はダメだ、料理人(父の実家は割烹料理店)か教員になれ!』と言われたから音楽の先生になろうと思った」

と。

教員になってからはあまり弾いて無かったのですが、1980年に写真の楽器を購入

「毎日練習するんだ!」

と言ってましたが、結局は吹奏楽三昧の日々、母に良く嫌味を言われてました。


2004年の水害で一度水没、両親が必死で二階に上げ、その後ヤマハでオーバーホールしてもらいました。


仙台に来てからは自宅で弾いていたようです。


2010年3月に脳梗塞で倒れた後も、回らぬ口で

「 マリンバ弾きたいなあ」

とうわ言のように言っていたので、

「 治ったら共演しよう。俺がファゴット吹くから伴奏するか?お父ちゃんがソロやりたいならピアノ練習しておくぞ」

と声を掛けてましたが、結局叶うことは有りませんでした。

共演、と言えば僕が高校生の頃に父がソロを弾く機会があって、最初は僕がピアノ伴奏を、と計画していたんですが、試験直撃で(赤点まみれでピンチだった)で回避したこともあり、結局共演してませんでした。


父の他界後は母がたまに音を出す位でしたが、母も他界したため、有意義に使ってくれる人を、と思って前田君に声を掛けたら、叩きに来てくれて即決しました。

 

きっと喜んでくれていると思います。