【不登校】子供のこと① | イラストレーターAyuの日記〜時々、不登校のこと〜

イラストレーターAyuの日記〜時々、不登校のこと〜

インナーチャイルドカウンセラー・イラストレーターのAyuです。

インナーチャイルドコーチングで、【子どもの頃に思い込んでしまった解釈】を紐解いて、考え方の癖を見つけ、心を整えていきます。

実際体験したこと、心に残ったことをマンガに表現していきます!

こんにちは

あゆです。

 

 

 

うちの子供たちのことを紹介します。

 

うさぎ2004年生まれの娘

うさぎ2005年生まれの長男

うさぎ2011年生まれの次男

の3人兄弟です。

 

 

今日はまず、娘から。

 

 

  不登校のキッカケは表彰状

 

 

小2の時に、給食が原因で登校拒否を起こしました。

 

 

次男が1歳の時だったので、抱っこ紐で抱いて、

 

遅刻して連れていったことが何度もあります。

 

 

小1の時の若い女性の担任が

 

全員が給食を完食したら教室に表彰状を貼ります!

 

なんて言ったのが始まりで、

 

食べるのが早かったり、おかわりまでするような子には、とてもいい方法だったのだと思います。

 

 

競うように皆早かった、と娘が言っていました。

 

 

でも娘は、食べるのが決して早くはなく、食べ終わりが早い子なんかに

 

「早くしろよ!」

「お前が残すからもらえなかったじゃん!」

 

など言われているうちに、

 

段々と給食が苦痛になってきて、

 

小2になった頃には普通量の4分の1しか食べられてない状態になってしまいました。

 

(擁護の先生伝いに聞きました)

 

 

 

娘は、ほぼ給食を食べずに帰宅する日が続きました。

 

 

お弁当持参も聞いてみましたが、

 

給食のように管理されていなく、食中毒などが懸念されるから、と断られてしまいました。

 

 

なので、娘は家に帰ってきてからおにぎりなどを食べていました。

 

人と比べられたりしない、安心な家へ帰ってきて、「お腹空いた」とモリモリ食べてました。

 

元々食べることは好きだったので、とても可哀想でした。

 

 

 

ちなみに、現在は会食恐怖症になっていて、団体でご飯を食べる事が苦手です。外食もほぼ行けません。

 

 

 

  夫から平手打ち!

 

 

そんな日が続いて、

 

朝に小学校へ行く時間になっても行けなくて、玄関でランドセルを背負って泣いていた時もありました。

 

 

その時の夫は、出勤前で

 

泣いて駄々をこねる娘を見て「甘えるな!」と怒鳴り

 

平手打ち!

 

 

 

すかさず「やめてよ!!」と止めに入りました。

 

片手には2歳の次男を抱きながら。

 

 

 

「パパはさっさと仕事へ行って!

泣いてる子に手を上げるなんて何考えてるの!!」

 

 

 

まだ小さかった娘に手をあげた事が信じられなくて、朝から夫にめっちゃ怒りました。

 

 

マンションの狭い玄関での出来事。

 

絶対忘れられない出来事です。

 

 

 

この日は、年子の長男は先に登校班へ行かせて、登校してもらいました。

 

 

そんな状態の娘と学校へ何とか行っても、教室へ行けません。

 

 

校内へ何とか入っても、

 

教室へ行く途中の階段で逃げ出す!なんてこともありました。

 

 

落ち着くまで保健室へ登校させてもらって、

 

後から教室へ行くということもありました。

 

 

大好きな友達が迎えにきてくれた時もありましたが、手を振り払い、泣いてしまって全然だめでした。

 

 

 

 

今思うと、よく学校へ行けていたな、と思います。

 

夫が怖かったのかもしれません。

 

私の助けも、もしかしたら足りなかったかもしれない。

 

 

娘のなかには、

 

また、怒られちゃうかもしれない。

 

給食だけなのに。みたいな思いもあったみたいです。

 

 

 

私は、助けてあげられていたのかなぁ…。

 

 

今はその話は娘とはしていません。

 

 

  減らして食べる給食

 

学校へ行った娘は、毎日減らす行為も嫌だと言っていました。

 

減らせば

「なんでそれしか食べないの?」

と聞いてくる子がいる。

 

 

減らすときは、みんなの前に行って、減らさなくては行けない。

 

(教室の前に配膳台があるから)

 

 

 

すごくすごく減らしてやっと食べても、周りの男子から

 

「それしか食べないの?」

「なんで食べないの?」

 

と言われるのが苦痛で、すごく嫌だ、といつも言っていました。

 

 

残すと怒られる。

みんなに責められる。

自分のペースで食べられない。

 

 

食育だから、という学校が、

 

物凄く嫌だったことを覚えています。

 

 

 

感謝して食べる。そりゃあ、そうだと思います。

 

 

でも、楽しく食べることも食育じゃないのかなぁ?

 

 

 

 

給食も毎日のことだったので、娘も本当に本当に大変だったと思います。

 

 

 

  進級して変化が。

 

 

3年生になってベテランの男性担任に変わってから、

 

嘘だったように学校へ行けるようになりました。

 

 

給食もちょっと減らすくらいで、食べられるようになりました。

 

 

おそらく、男子などからかう子にビシッと言ってくれたのが良かったようです。

 

娘はみるみる元気になって、

 

4年生まで順調に学校へ行っていました。

 

 

 

 

6年生の時に担任が途中で変わったりして、

 

それをきっかけとして徐々に学級崩壊が起こり、再び保健室登校になります。

 

 

 

そして、中2の時に、長男の不登校と児相への保護の件があり、

 

12月〜3月まで不登校になりました。

 

 

中3の時には受験生だし、内申点がないと希望の高校へ行けない!という焦りもあり、自力で不登校を脱出します。

 

 

 

娘のことは、ここにも書いています。

 

 

 

長男や次男のことは、また書ける時に書いていきたいと思います。