大坂の陣といえば受験の時夏か冬かどっちが先かなんて
いつも頭の中がごちゃごちゃになった経験があります
実際の季節は夏→冬ですが、こればかりは冬が先だぞって
自分なりの覚え方をしだすまでどんなに苦労したか
先に起こった冬の陣は1614年、大坂城の南側の弱点を埋めるべく、
真田幸村が作った出城『真田丸』が大いに活躍しました
この真田丸、たった1カ月足らずで完成させたみたいですよ~
それがあんなに徳川軍を苦しめるとは…
真田の築城技術も侮れませんね
真田丸については幸村さんについて書いた時に語ったので、
今はこのくらいにしておいて…
今日は大坂の陣の際に豊臣方として奮闘した他の武将さんを
ご紹介したいと思います
まず一人目は『木村繁成』です
豊臣秀頼の小姓としても育った武将で、秀頼と幼馴染みとも言える存在です。
まだお若い武将さんなんですね~
彼の人柄がわかるようなエピソードといたしましては・・・
戦時には徳川方にあって、大阪城を攻めていた
幸村の2人の甥(兄:信之の子)を、
「少年なのにすぐれた働きをする若武者」と称賛し、
鉄砲で撃たたないよう幸村に進言したり、
初陣の手柄として褒美を与えられても、
「自分ひとりの働きによるものではない」と返上してしまったなどがあります。
なんとも一本気で潔く、堅実な感じがうかがえるお話ですね
どんな風体の方なのかな~と、いかつい体格を想像していたのですが、
そのお顔といいますと女性のような美貌を持ち合わせていたようです。
名前もなんだか男っぽいのに…いっ意外でしたぁ
木村重成はこの戦いで藤堂・井伊軍と対峙(八尾・若江の戦い)し、
激闘の末、 井伊軍に破れて討ち死にしてしまいます。
それが日にちでいうと・・・昨日にあたる5月6日です。
家康のもとに届けられた髪には、ほのかに香がたきこめてあったとか…
命をかける覚悟をき決めていたんですね。
そしてもう一人、5月6日に討ち死にした武将がいます。
『後藤基次』、通称又兵衛といいます。
又兵衛と言われなければ聞いたことないと言うところでした(;´・ω・)
もとは黒田孝高(如水)と子の長政に仕えていたのですが、
長政の代で出奔、池田家のあと後に豊臣に仕えます。
この日、 後藤隊は大阪城の南方の小松山に進出し、
幸村の援軍をを待つうちに、三方向から徳川方に攻撃され退路を絶たれました。
勝ち目がないのは明らかになってからも、基次は決死の突撃を決行!!
最期は伊達隊の攻撃により腰を撃たれ
身動きがとれなくなってしまいます。(道明寺の戦い)
それでも座ったまま槍を振り回し敵に立ち向かう奮迅ぶりを見せたといいますから
彼の覚悟もその戦いぶりで伝わってきますよね。
大坂の陣で豊臣方は徳川が大和(奈良)方面と河内(大阪)方面から
攻め入ってくると読み出撃したのですが、
大和口では後藤、一方河内口では木村が敗北したため兵は撤退。
幸村は翌7日に最終決戦に挑む形になりました。
そして今日5月7日には真田幸村が討死。
さらに5月8日には大阪城に居た秀頼と淀殿 が自害…
猛者を亡くした豊臣は抗うすべがなくなってしまったんですね。
幸村さんの獅子奮迅ぶりに隠れがちのお二人ですが
大坂の陣で命を懸けた猛者として覚えておきたいです
そうそう♪
BS-TBSで毎週水曜日に放送されている『ライバル達の光芒』
今週は近藤さんvs土方さんですね(/・ω・)/
前の八重と捨松の回は、先生方も出ずになんだか
会津のお話ばかりで終わってしまった感じだったので、
今回は新選組組織の事ばかりではなく、お二人に踏み込んだお話も
聞けることを期待してま~す!
でも新選組の二人が取り上げられる回があってとっても嬉しいですね♪
楽しみだ~♪
