なんで今回は板垣さんかというと・・・
この前訪れた岐阜公園でこんなものを発見したからです
これは板垣退助さんの銅像なのですが・・・
なんで岐阜に?
近くの説明文をよく読んでみると・・・
自由民権運動を精力的に行っていたころ
この地で演説中に暴漢に襲われて負傷(>ω<ノ)ノ
『板垣死すとも自由は死せず』
という名言が飛び出した地だったんですね
こんな理由から板垣さんをピックアップしたのですが
私はやはり幕末が好きなので俊輔さん同様
幕末時代の退助さんを見てみることにしま~す














退助さんは土佐藩の上士の家(乾家)に生まれました
ん?上士ってなんだろって思った方!
土佐って他の藩にはない特殊な身分制度があるんですよね~
現在の藩主山内氏は関ヶ原の戦い以降、土佐に赴任してきた大名で
それ以前に土佐を納めていた長曾我部氏は西軍敗北により
改易されてしまったんですね
○新しい領主である山内氏家臣を上士
○長曾我部氏の家臣を郷士
このように区別され上士と郷士の身分には雲泥の差があったんです
なので上士の家に生まれた退助さんはいわばエリートですよね
苦労しないで政治家への道を歩んだのでは?
と思ったのですが・・・
幼少期は勉強ギライで喧嘩好きといった腕白少年だったそうです
そんな彼の人生の転機は
「吉田東洋」という人物との出会いでした!
吉田東洋は土佐藩主の山内容堂にその才能を認められ
藩政改革に乗り出し、若者の人材発掘や育成に力を入れた人物です
当時・・・まだ荒々しいとこのある退助さんでしたが
吉田さんの抜擢により藩主の側用役や藩の要職を任せられ
心を改め自分なりの思想を抱くようになっていきます
時代が動いていく中、彼が思いめぐらせて辿り着いた思想は
「武力による倒幕」を目指す尊王攘夷論でした
この頃の土佐藩主の山内容堂は「幕末の四賢侯」といわれ
才能豊かなまさにリーダー素質のある人物でしたが
退助の主張とはま逆の徹底的な佐幕思想でした!
(徳川家によって藩主になれた恩顧が大きかったんでしょうね)
藩主との意見の相違を感じた退助さんはついに辞職
江戸で西洋兵学などの軍事技術を学び
土佐脱藩浪士の中岡慎太郎に出会いさらに勤皇思想を強くし
着々と武力倒幕への準備を進めていきます
・・・が
結局は同じ土佐の坂本竜馬や後藤象二郎による「大政奉還」によって
武力討幕をする必要はなくなってしまったんですけどね~
倒幕の為に用意した兵は役に立ちませんでしたが
退助さんの軍事力は後に起こった戊辰戦争で威力を発揮します!
甲州勝沼の戦いでは新選組近藤勇さん率いる「甲陽鎮撫隊」を破り
会津若松城を数日で攻め落とすことにも成功しています














「自由」の名の下、民衆を導く政治家としての道を歩んだ退助さんが
激動の幕末では誰よりも武力で解決しようとしていたことに驚きました
戊辰戦争での戦いぶりもスゴイですから本当は軍人向けの
方なのかなぁとイメージがガラリと変わっちゃいました
しかし、政治家としても成功しているように
自分が思った思想に突っ走る強さというものをスゴク感じますね
理想が高ければ高いほど苦労しそうですが
退助さんならその理想を現実にしてくれそうで
民衆の人気が高かった理由がわかった気がしました
