どこも痛ましい状況ではございますが。
印象に残っている地域を箇条書きします。
〇南三陸町
地震でこの地域は水平方向に4.4メートル陸側へ隆起し
75センチ沈下した地域。 へ の字になったかたち
鉄骨の市庁舎の前の献花のゆりの白さが
鮮烈な悲しみの記憶を象徴しておりました。
〇気仙沼
30年ぐらい前、気仙沼に遊びに来た時がある。
とても海がきれいですごく親切な漁師さんたちで
開放的なあかぬけて未来に明るい漁師さんを見た。
遠洋漁業の基地でもあり養殖業も盛ん。
自然も大きく広く太平洋に開けていて
とても風通しの良い街です。
包容力ある自然と人間が多いと印象をもっています。
16日車で通過した時は
大きな船をまた巨大な専用クレーンで引き上げて
移動している作業中でした。
巨大船の震災当時の津波と火災の悲しい話を思い出しました。
〇陸前高田
海岸線が長く広がる地域で
太陽がまぶしいく海水浴場の高田松原は
地元民の自慢の名所でした。
大きな橋を渡る前に遠くに見えた
一本松が記憶にあります。
〇大船渡
綾里の白浜集落。付近は標高23メートルまで津波が駆け上がったが
住宅は無傷で犠牲者もいなかった。
1933年の昭和三陸大津波を機に海岸から高台に移していた。
整備工場、銀行、薬局、病院、etcが被害をうけず機能しているから
低地の方々を助け、復興の弾みつくものと感じた。
写真のマイヤは当時妹が働いていた。
奇跡的に妹は脱出することができた。
途中小さな子供たちを助けて自らも
犠牲の危険性を感じながら逃げた。
妹は今でも当時を思い出すと震災の写真を見ると
吐き気を覚える。しばらくこちらからは津波の話には
触れないようにしている。自然と話す日は1年後に
話だすのかもしれない。当時の痛みは皆様が背負っている。






