ずっと何十年も

人との距離感に悩んでいた。

人に関わらないように
生きてきた。

誰も困らせたくない。
誰も傷つけたくない。
誰にも重さを与えたくない。

直接話すことは
相手に負荷をかけてしまうのではないか?

普通はとよく言われる

自分がそういう環境で育ったから
人間関係の基本を自然に学べなかった



普通の家庭で育った人たちは
どう人と関わっているのか
知りたかっただけ。

どうやってみんな
人間関係を築いているのか
純粋に知りたかっただけ
子どもの頃に教わらなかったから
観察してただけ

何も言わなかったのではなく
本当にわからなかったから
学んで吸収しようと必死だった。

自分の気持ちを押し殺すことで
平穏を保ってきた
少しでも出せば
対応を間違えば怒鳴られ責められ
生きることが苦しくなる

自分の気持ちを伝えることが
どれほど恐ろしく
難しいことなのかも
自分では分かっている。

過去は過去だけど
トラウマはトラウマだ

だから私は子どもの頃から
文章や絵で表現することで自分を保ってきた。

「直接口で言えばいいのに」
「影でコソコソ文章にして投稿するのは卑怯だ」

そんな捉え方があることを
私は初めて知った。
ビックリした。

でも、
私にとって文章を書くことは
誰かに分かってほしいと訴えたり
何かを要求したり
誰かを
変えようとすることではなかった。


そのとき自分が
何を感じ、どう思ったのか。

その出来事や言葉を
自分なりに何度も振り返り、

「私はこう感じた」
「こう考えた」
「ここから何を学んだのか」
「これからどうしたいのか」

自分自身に問いかけながら
気持ちを整理していく。

私にとっては
自分自身と向き合い
自分を理解するための
大切なプロセスだった。

だから
赤裸々に隠さず
文章にしていた。

目に見える形で
作品が増えていくことも嬉しかった。

常に
自分自身との対話だった。

表面でニコニコしていても
腹では違うことを考えていると
捉えられることも
あるのかもしれない。

でも、

楽しいから笑う。
嬉しいから笑う。

そして
その場の空気を乱したくなくて
黙ってやり過ごすこともある。

自分が沢山キズついてきたから
不用意な発言は人をキズつける
空気を乱せば一気に悪者になる
その経験があまりにも多すぎた
だから黙っている

人に弱音を吐いたり
相談したりする習慣もない。

自分の弱さやエゴのために
相手の時間を奪うようなことは
したくなかった。

そもそも
何を話していいか分からない。
目的やテーマがないと話せない

誰かに相談するとしたら
お金を払ってカウンセリングに行った
その方法しか知らない

自分自身を押し殺して
生きてきたからこそ、

人に対して
自分を出すということが
何より難しかった。

文章を書くことは
誰かを攻撃するためではなく、

私が私自身を理解するための
ひとつの方法だった。

馴染めないと言ったのは
今の人間関係ではなく
子どもの頃から私は
人の輪の中に馴染めない
浮いてしまう。
どこに行ってもそれは変わらない

ただそう認識しただけだ
私はそういう人間なんだと

キズつけたり攻撃する意図はなかった

それでも
そう感じた人がいるなら
そのままで良いとも思っている

相手の気持ちは相手のものだから
そのまま尊重したい

淋しくても
自分のエゴで
誤解を解きたいと思わない
人の時間を
奪うようなことはしたくない
不器用でも
自分はその生き方しかできない


※私の言う重たいは「依存的で、人にたくさん要求してしまうから重い」ではありません。
自分が幼少期から背負い込んできた環境が多層的に長期的に、様々な要員が重なって、私が普通だと思って話すエピソードが、人には重くて痛くて信じられないと衝撃を与えてしまうから、私は重いのだと感じ口を閉ざすようになりました。