虐待は連鎖すると言います。
姿を変え、形を変え、虐待の連鎖を断ち切ることは物凄いエネルギーを必要とします。
それと同じくらい、“子どもの親化”の連鎖も繰り返されていくのではないかと思いました。
子どもでいる時期に親が大人の役割を果たせなかった場合、子どもが親の親役をするしかない状況になる事があります。
子ども時代に子どもとして生きられなかった欲求は、自分に子どもが出来た時に親の代わりを求めて親にされた事が繰り返されるのがしれません。
それは、虐待ほどわかりやすくなく、静かに無意識に、なんの罪の意識もなく繰り返されていくのではないかと感じました。
むしろ、はたから見たら仲良し親子や、愛情いっぱいな親子に見えるかもしれません。
本人達にもその感覚はあるかもしれません。
私は、母から日常的な怒鳴り声や精神的な暴力や機能不全家庭がありました。
その母は、おばあちゃんから肉体的な暴力や幼い頃から家の事から兄弟の世話まで全て背負わされてきたようです。
おばあちゃんの事はわかりませんが、戦後のこともあり、過酷だったと思います。
それでも、母はいつも母なりに愛そうと沢山の愛情を注いでくれました。
それは、子どもが求める一般的な愛情とは遠くても、母に出来る精一杯を与えてくれました。
だから、私は家庭の在り方は分かりませんが、一人の親として子どもに愛を注ぐ方向にいけたのだと思います。
私自身は子どもが生まれて、
愛したいのに愛し方が分かりませんでした。
拒絶や虐待に近いこともしました。
私には限界があると思い、愛情いっぱいに育った父ちゃんの助けを借りました。
(母はお空に旅立ってしまったので。)
父ちゃんの対応をみながら、内心は『私は子どもの頃そんな風に抱きしめてもらえなかった』と葛藤しながらも、子どもが転んで泣いたら怒るのではなく、抱き上げてよしよしすることも学びました。
※父ちゃんの事は大好きで大切に思っていましたが、幼い頃に両親が離婚して長い間離れて暮らしてたので、私の離婚と娘のことをキッカケにもう1度家族として暮らす事ができました。
子どもを愛するために自分自身をちゃんと向き合わなきゃダメだと思い、カウンセリングに通いながら自分自身を愛する努力を積み重ねて、ようやく虐待の連鎖を断ち切る事が出来たんじゃないかと思っています。
愛情いっぱいスキンシップも出来るようになったのに、
子どもの親化を止める事ができませんでした。
私が甘えられるのは、縋ることが出来るのは娘だけでした。
無条件で優しく抱きしめて、頭をよしよししてくれました。
誰にも分かってもらえなかった心の内を、誤解や偏見、色眼鏡ではなく、真っ直ぐに素直に受け取って話も聴いて受け入れてくれました。
そして、初めて自分を1番に見てもらえました。価値ではなく、存在として無条件な純粋な好意をもらえました。
味方でいてくれるのが娘だったから、幼い娘の優しさに甘えたままでいました。
キズだらけのインナーチャイルドを抱え、トラウマの渦中で毎日のように泣いていました。
当時は娘も『自分がママを守ってあげなきゃ』と思っていたそうです。
私は泣いてしまう事を娘に許してもらってる状態のままでした。
本来なら、泣く事も悲しみや葛藤も自分自身で抱きしめてあげたら良かったんですよ。
そして、娘のためにと移住した先で、地域の人達の沢山の人達の優しさや温かさに触れ、初めて安全や安心出来る環境に身を置く経験ができました。
ずっと抑圧されてきた子ども時代をなぞるように生き直し、ガチガチに蓋を閉めてきた感情を少しずつ出せるようになりました。
ずっと、感覚的には頭では“これって退行現象だな”、“いい歳して子ども過ぎるけど、必要な過程だ”となんとなく捉えてはいました。
子どもをやり直す事で、感情を感じきる事で、外に全部出してみた事で、ようやく、ずっと抱えていた正体不明の不安や恐怖心、安心感に対する執着を手放す事が出来ました。
安心感は自分の中で作れるんだという気付きとともに。
すると不思議な事に、あれだけ全力で泣いて笑って、怒りも感じながら、はしゃいでた自分がウソのように静寂に包まれて、欲求も望みも過去への執着も何もなくなったのです。
今はただ、毎日穏やかに静かに安定して過ごす事が出来ています。周りの目を気にせず、ゴーイングマイウェイに(笑)
その中で、娘がようやく親役を降りる事が出来たんじゃないかと思います。
正常な親子の関係性に戻る事ができたのです。
ずっと、子どもに親役をやらせてしまってる意識はありましたが、とめられませんでした。
でも、本当に気がついたら自分の内側の静寂と、子どもが子どもらしく甘えてきたり、わがまま言ったり、心の内を話してくれる事が日常化していきました。
娘曰く『ママはもう一人でも大丈夫』と私一人長野に残して一人東京のじぃじの所に旅立つことも笑
私のトラウマの手放しや心の癒しがあらかた終了したので、今度は娘の気持ちに寄り添い、本当の意味で親として守っていく事が出来るようになったのかなと感じています。
既存の枠に捕らわれず、今の娘の気持ちにフォーカスして、安定できる環境や状況、人間関係を整える事が自然に出来るようになりました。
普通や社会に馴染めていないとしても、娘も私もオッケーなら、とりあえず今はそれでいいんじゃないかな。
今の時間を楽しいや嬉しいで満たしていこう。
1年前は嵐のようだった感情が、そんなふうに穏やかに静寂な意識の中で自分自身を生きられるようになりました。
親として、母親としてというよりは、一人の人間として、子どもと向き合い、子どもの気持ちを尊重しながら環境を整えていけばいいのかなと。
今の自分に出来る最善はそれくらいしかないのですが。
子どもがご機嫌に鼻歌歌ったり、私やじぃじとゲラゲラ笑ったり。
その日常をおくれる事に今は感謝しています。
平穏で、社会的に孤立したとしても、そこに執着や欲求も何もなくて。
ファッションや、メイクもやる気が起きません!(笑)
この感覚は初めてのことなので、自分自身でも今のこの状態や心境をうまく説明できません。
しかし、子どもが子どもらしく、弱音やわがままや、感情を出せるようになり、自分の要望をハッキリと私(親)に伝える事が出来たという事が全ての真実ではないかと思います。
これからも、一緒に楽しい事、夢中になれることを模索しなが楽しい日々を積み重ねていきたいです。
※最近、私自身も、私の普通や笑い話として話すことも、一般的な大多数の人にとっては“重かったり”、“ドン引き案件で”気を遣わせちゃうんじゃないかと学びました。
だから、仲良くなろう!打ち解けよう!!とコミュニケーションを頑張るよりは、必要な時に必要な分だけ地域に関わっていけたらそれでいいのかなと思えるようになりました。
ずっと自分を理解してもらいたい、魂レベルで繋がりたいと思っていましたが、世の中は『そこまで重い関係で成り立ってないし、理解し合えなくても共に時間を共有する事はできる』
という事を学びました。
程よい距離感と、悪意や迷惑かける気持ちはないんだと行動で示せたら、それだけでいいんだなと思いました!
まだまだ、学びの中にいますが、自分自身の心地良さと、のんちゃんの笑顔を守りながら成長していきたいと思います。