そこはかとなく・・・ -3ページ目

そこはかとなく・・・

おもむろに書き始めてなんとなく終わるヒトリゴト。

「どうして僕のこと知ってるの?」

電車でみかけて意を決して話しかけた時、そんな風に返して下さった記憶。

正直働いた期間は一切被っていなくて、
直接的な面識はまったくもってなくて、
ただ、軽い気持ちで素敵なおじさんだな、
一緒の期間に働いてみたかったなと勝手に焦がれてみていただけ。

どんな経歴でどんなお仕事をされどんな経緯で転職され
今に至っていらっしゃったのかは、よく知らなかった。
どんな人であるかも知らなかった。

日常、頻繁に思い出す存在でもない。

それなのに、一日経ち早退を控え仕事を進める程に、
対面できる時が近づく程に、僅かな記憶の断片が甦っていた。

他の人を介してなんとなくご挨拶した時、
ただ遠目に違う制服で働く姿がいい絵になるなって眺めたこと、
思いきって話しかけた時の、仏頂面から移り変わった笑顔。

これまでのお仕事のVTRや手帳など資料の展示を拝見して、
はじめてわかってきた人物像。

繊細で几帳面、知っていた以上にお洒落、ユーモア満載、まめ。
ひょうきんで、仕事の向こう側に居るお客さん達を大事にしてたであろう姿。

自分が手にして嬉しかった物の発案者だったこと。
自ら出演し広告しているVTRも多数あったこと。
そのどれも、お恥ずかしながら見た事はなく存じなかった。
ただ、勝手になんとなく素敵だと思ってた。

電車で逢ったのはいつのことだったんだろう。
日記を遡って探したけれど見つからない。


まるで疑わなかったけど、また今年も逢えるつもりでいた。
気付かなかったけど、今現在ではその場所で逢える楽しみな人物ベスト3に入ってたのかも。
おじさんメンバーで言うならNo.1の楽しみだったかも。

どのポジションの制服もお世辞じゃなしにお似合いだった、着こなしてた。
最期の旅立ち、何を召されているのだろうか。
棺は閉ざされお焼香ではお顔を拝見できなかった。
お顔を見ずに立ち去る覚悟は持てなくて、対面が許される時を待った。

闘病の末のこと、どんな表情をされているかを心していたけど、
思いの外ごくごく普通の様子だった。

最期だから仕事着じゃ休まらないし楽な召し物でとか、
そういうもんなのかな?どっちだろう?って気になっていたけど、よかった。
やっと再会できた故人は、最もお似合いだと勝手に思っていた制服を召されていた。

考える度に「なんで」「あぁわからない」「どうして」
それしか出て来ない死だった。

今まででもっともつらいと思った死だった。

側近の人物の死を経験していないこともあるけど。
自分にとって近い存在でもなくどんな人かもよく知らなかったのに、
どうしてこんなに込み上げるものが尽きなかったのか、本当にわからなかった。

気持ちを切り替えることは瞬時にでもできる、
そのぐらい割り切れる距離の存在。

でも顔を思い出すとまるで受け入れられない。
亡くなっただなんて考え難い、わからない。
死が解らない、死ぬってどういうことなんだろうって。


葬儀に向かう中で考えた。
今回はこうして人づてにどうにかギリギリ報せを貰えたけど、
自分にとってもっと明らかに別れがたい存在は沢山いて、
それは最期に逢いたい、顔が見たいと願っても叶わない相手も多くて、
この先そんな場面を経験するまで自分が後まで生きられていた時、
対面したくても対面できないつらさはどれだけのものだろうと。

実際に逢ったことない相手ならまだ諦めもつくかもわからないよ。
だけど一度だって実際に逢って、話したり、接触した大切な存在をさ、
対面した時の空気を感じて納得した相手の最期をさ、見ずにやり過ごせる?


ここまで自分が悲しむ理由は今わからなくて、
この先きっとずっとわからなくて、今日感じた感覚はすぐにでも忘れるだろう。

ひょんな拍子でやりとりが交錯しなければ知らないまま過ぎ、
事後報告を受けてここまで感慨深くはなってなかっただろう。

今日参列を遠慮して諦めていれば、悔やんでもやがて忘れる。
目に見えてわかる。

それがなくても死ぬわけじゃないっていうこと。
それが叶わなくても、最低限生きてはいるのだろうということ。
いつだってもうひとつの選択の先の結末はわからないけど。


すべては想いなのだろう。
想いで判断し、選び、進む。
感情だけではどうにもならないけれど、人間なのだから。

仕事の向こう側、相手を想う気持ちも。


最期には想いこそがあらゆる動力なのだと。


最期、遠慮しなくてよかった。

僅かな時間でも、直接ではない関わりだったけれども、
ニアミスでもその存在に遭遇する事が出来てよかったと思った。
もう一度でも並び直して対面したかった。

この想いがどうしてかは、きっとずっとわからない。






ただ今日、軌跡を見て知った故人の姿を、ふるまいや人柄を倣いたいと、
そんな仕事ぶりをこの先自分もしてみたいなと、新たに焦がれた。

「ユーモア=ヒューマニズム」

小さな巨人のおじさんはそれを体現されていたから。

あとは“自己実現”、
残されたキーワードを大切に持ち帰って来た。





どうか、安らかに。

死んだら再会したいです。















もう死について希望も絶望も口にしたくない。
身内以外の人間の、人さまの命についてどうの言うもんじゃない。
少なくとも。

良くも悪くも本人の居ない所でその人の話をするのは、
必要以上は避けるべきだ、噂なんて、うわさにしてしまうなんて
ろくなもんじゃない。

どうしてだ。癌なんてどうして存在するんだ。
自分が奇跡を浅はかにでも望んだりしたこどが余計で、
死神を誘導してしまったんじゃないかというような、
うしろめたさとも罪悪感とも表現つけきれない、
燃えかすに残るノロのような影が胸にへばりついている。

おととい知ったばかりのことなのに。
二転三転聞いて、なんだか大丈夫そうに思えたのに。
噂の翌日にまさか、亡くなられてしまっただなんて。
どうしてそんなタイミングで話題にしていたんだろう。

まったく別の件で用事が出来て再訪した。
行き違うメールのやりとりの果てに、何かの違和感に気付いた。
もしかして、危うく察知し逃すところだった。
まさかと思いながら行き過ぎた人々の表情や感触をおさらいした。

早とちりから流出した訃報。

そのまさかだった。
また顔を見たい、逢いたいと思っていたのに。
一方的でもやけに好きで仕方なかったのに。


それでも去年、電車の中で遭遇できたこと。
一方的に話しかけて、後悔せずに済んだこと。
せめてあの時話しかけていてよかったと、最低限思った、思えた。

もしもあの時勇気を出せず遠慮して後ろ姿を見送っていたら、
話したくても話せないままにお別れになってしまっていたんだ。

この事実を知る前に、今日実感していたこと。

できることは、できる内にする。
やれるうちに、やれる限りを。
理由なんてついてこなくても思い立ったら行いたい。
思い入れが浅かろうが深かろうが関係ない。
極論、向こうが憶えてようが憶えてなかろうが問題じゃない。
伝えたいと思ったら伝えてみればいいし、
届かなくても届けようとするだけはしよう。
そう望むのならそうするまでなんだ、っていうこと。
誰に対しても。
もはや物理的な距離でもなければ心の距離すら後回しだった。
単なるエゴに終わろうと。

これまでがどんなかだったかなんて別次元で、
終わりは終わり。自分の立場もクソもない。
ただ、相手のこれまでを労いたかった。


まさか、こんなにも早く訃報を聞くなんて。


お顔を拝見しに行きたい。
ご冥福を祈るなんてここに書き記したってどうにもならないんだ。

こうして何かを書き殴ることは、その内容はすべて本音だけれども、
本当の想いは、そのすべては言葉になどできない。しない。










大切な人々に逢って来た。
私が行ってみたかったお店は友人の行ってみたかった店でもあり、
目星をつけた時期も同じタイミングだったようで、丁度良かった。

大切な人々に大切な大勢の話をたくさん聞いた。
復帰した、またご懐妊だ、ご退職だ、ご結婚だ、大病だ。
私が一方的に好きだったおじさんが大病を患い、
ひょっとしたらあの場所でもう見れないのかもしれない、
という話がとてもショックだった。

私の好きな人物は誰かにとっては憎らしかったり、
人と人の関係はいろいろだ。

だけれども時を重ねた今、
傍観者の私はすべてを少なからず愛しいと思えるんだ、本気で。

これまでもいろいろいろいろあったように、
これからもいろいろいろいろあったりして、
ほとほとうんざりしたり、がっかりしたりもするんだろう。
たくさん、たくさん。
立て続いたりしちゃって、堪忍袋の緒なんてもはやイモリ式。

おつかれさま。
ありがとう。

あなた方が今も変わらず笑顔でそこに立ってくれている、
その事実だけで最高です。
更には笑顔で迎えてくれたりする。
ありあまってしまうよ。

汗を垂らし、涙を流し、誰かの尻拭い。

そうだ、お返しはハンケチにしたろかな。
あのコにはククサ、あの人には他の何か。
そうやって考えるとまた楽しくて仕方ないな。

色んな人の話をしていたら、その場にまた元同僚が出現。
友人は久々の再会だ。
「たまたま仕事が早く終わって、今日来てみようと思って」

人集う、引力が高まってた今日のあの店。
そういう場所があるってすごく楽しくて幸せ。

「そういえば○○さんが辞めるって…」
丁度今その話をしていたところだった。

風のウワサ? 情報は電波に乗って、風になって?
なんだかんだと人と人の間に着地して口に登ってくるもんだ。

このあたりの通り歩けばそんなもんなんだ。

祭の翌日。
「この道行けば、誰かにあたるんじゃないか」
そう思って進めば、肩を落としてうつむく長の後姿とか。
もっと進めばその人想う子が歩いていたりとか。
下向いて歩いていようとおかまいなく声かけてやるのです。

たくさんの大切な人の話を聞いていたら、
急激に今すぐにでも再訪したくなったんだ。

とても澄んだ月浮かぶ夜空を大切な人達と歩いた束の間の帰り道。
あまりにも幸せで。

返さなきゃ、まだできることがある、まだやれることが。


どうか、あのおじさんが奇跡の回復を遂げて返り咲いてくれますよう。
こんな風に願い事を書くなんて易い、軽い。
だけどもう、奇跡を望むしかないみたいなんだ。

死ぬまで映画、語り続けてくれるんでしょう?
まだ死なないで下さい。

















爺さんの墓場の前に佇む夢を見た。

先月備えた花はなぎ倒され、墓石も倒壊し、
周りの墓は軒並み無くなり土が整備され、
一等地から移動させられていた夢だった。

しかしながら移動された墓場は左右の大きな切り株に挟まれ、
それはそれでなんとなく立派な造形で決して悪い気はしなくて、
澄んだ空にソリッドな雲たちが低く浮かび、
神々しい太陽の光との境界を強く示しているのだった。

爺さんの墓に花を供えに行きたい。
そう思って目が覚めた。

出かけるといつもの通勤路には夢でみたような
コントラストの強い雲映える空が広く、とても広く広がっていた。
長野へ行きたくなった。


とにかく旅がしたい。



定時って何だろう?
1ヵ月ほど経過してから新人は通常、最初の1週間は定時だと聞いた。
定時で上がったのは初日だけだ。

完全なる守銭奴となりまた実際問題必要とあって残業は大歓迎だ。
ただ整骨院に間に合わないしやっぱ諸々の調整は崩れゆく。

時は金なり。
万年時間給生活の私は正真正銘、文字通りだといつも思う。

ぶっちゃけしんどい。でも残業で精神は荒まない。
ただ身体がちょっとキツくなってきただけ。
幸せだ、ありがたいと思いながら働ける。
そんな日々が尚幸せを解らせてくくれる。


営業部の本部長さんとやらが話しかけに来てくれた。
印刷に興味がある?やってみたい?と。
時々印刷の部屋へやってくると尋常じゃない顔つきで機会達を見ているから、
印刷の方では“あーゆーコが印刷に欲しい”と言っているのだと話してくれた。
尋常じゃない目つきで機械をガン見している、それはもはやアブナイ人だ。
ただそれは事実だ、ものすごく興味があるし操れる人に憧れるから。

あいつアブナイと捉えられようが、印刷機への関心を悟ってくれ
そしてそんな風に話しかけてくれるたのがとてつもなく嬉しかった。

印刷のオペレーターでエントリーした時、
縁がなかったって言われてたのに。派遣先にだけど。

そんな今はオペレーターが不足して逼迫している。
けれど行きつく所このポジションでよかったのだと思う。
印刷は確かに楽しそうだが今の身体じゃ体力的に難しい。
それにもんのすごい男社会でノリが違って浮くだろう。
営業の人々もさすがは営業さんだな、と実感する人材揃い。

黙々と、地味に、コツコツと、ちまちまと。
だけど簡単なプリントもあって簡単な機械いじれる、
そんな今のポジションで入れてよかったんだろうと思う。
色々復習したいのにおいつかなくて焦りつつ、
でも流れてしまって日々余裕がないけど。


半年ぶりにまた、憧れの作家さんのアトリエに通える予定が出来た。
冷や冷やしたけどまた快諾(たぶん…)して貰えたので、
それが励みで目標で楽しみで御褒美で幸せで、課題で。
ひたすら、ただひたすらに。



やべ、サッカー見るんだった。







10年前の9月1日の朝の事を覚えている。
期待に胸が昂り過ぎてて早朝に目が覚めた。
そして新宿の雑居ビルの火災のニュースを見ていた。

今年の9月1日は元同僚達の勤続満10年を讃える日。
そしてお世話になっている整骨院の院長の就任1歳の日。
更には私が今の会社に勤めだして1ヵ月が経った日だった。
それと委託販売をお願いしている知人のお店のオープンも9月1日だったかな。

そんな日にやっと初めて社内HPを見るに至り、
(今の仕事で普段ネットは先ず使わない)初めて見たもの。

人事のお知らせ。8月1日付けでちゃんと私が報じられていた。
でかでかと、氏名にきちんとふりがながふられ写真付きで。
そういえば入社した日、社長が社報に載せるからといって
自ら写真を撮りにきてくれていた。こんな所で使われてたのか。

嬉しかったのは、“新入社員のお知らせ”と題されていた所。
そっか、派遣だけど、時間給だけどそれでも今の会社にとって
「新入社員」扱いをしてくれているんだ。
自覚が足りない事はよくなかったけどでも、
逆にありがたすぎて意外だった。

ぼちぼち個々のことや、関係性や、色々なことが見え始めてくる。
どうやら他人を買い被りがちな自分だけど、
今回もまた見え方が変わるのだろうか?

休憩室のTVを新調して配線工事も自ら綺麗にしたり、
とにかく自ら何かと動いている様子が伺えるから、
社長の顔と仕事の体温が感じ取れるから、
今のところは安心して働ける。
先週サミ●トで見つけて初めて知ったひしの南蛮

タネもまるごと食べられると書いてあるのを間違えて解釈し、
「生で丸ごとイケるんですね」、と思いかぶりついて後悔。
ま、食べられない事はないけど生はややキツかったな。
同日の夕飯に万能寺唐辛子や獅子唐も出揃ってニガニガ祭。

ピーマンも生の方が苦くないよね。
春菊も意外と生で食べる方がクセないんだと今年知った。
野菜はかーわいいねーお利口だねー健気だねーーーーー。(←シラフ)

ひしの南蛮に惹かれたのはそれが小諸高原で獲れたものだったから。
ばあちゃんの故郷だー、と親戚贔屓。
夏は京野菜もよく出回るし楽しいねー。毎年あまり手出せてないけど。

今日はなぜか職場のおやつタイムに枝豆貰った…。
味見したら小粒ながら香りが強くかった。
今晩食べようと持って帰って来たのにすっかり食べ忘れたー。

マイタケとナガイモ食べ続ければ風邪ひかない!はず。。。
と思ってすっかりしなびさせてしまったひしの南蛮と炒めて明日のおかず。


あーーーーー沖縄行きたい。
もずくの天婦羅食べたい。

いちにちじゅう水平線を眺めたい。
山肌を眺めたい。

日々脱走願望。

さ、明日も元気に過ごしたいところ。














また買えずにいた珈琲豆をやっと買いに行けた。
いつも焙煎して貰っている間にサービズの1杯をいただきながら、
数冊の雑誌で情報収集して好奇心が膨張しては気持ちが前につんのめる。

流れるクラシックに、いいなー落ち着くなーとくつろぎつつ、
penとサライをめくっているとやがて「ハレルヤ」が聴こえてきた。
ハレルヤを聴くと、なんとも言えぬ昂りがやってくる。
とてつもなく好きな曲。命の脈動とでもいうか、すごく生命を感じる。
プラス、ヘルシンキ等の特集とイスラム建築の特集見てたら
今すぐにでもすっ飛んでって観たくて旅したくなって、
けれど行けるわきゃない現実にじれったさを感じて涙が出かけた。

ほとばしる、迸る。みなぎる、漲る。
いい実感だなーと客観視して衝動を見送る。
そして初めて知った、国内のこんな立派なムスクの存在。
東京ジャーミイ

ここ行きたいわぁーーーーーーー…。
礼拝堂の装飾、弧の空間、体感したーーーーーーい!!
見学可ならば、よし!行くずら。

最近見学した建物でよかったのは目白学園明日館。
こうして実際に訪ねて空気や匂いこみで体感して落ち着く。
気配が合う建築、落ち着けず跳ねのけられてる気がする合わない建築。
建物も空間も相性があるのでつくづくおもしろい。
行ってみないと、わからない。

旅したいなー。

んなこと考えつつ、頭の中で好きな曲が鳴りだす。
どの曲もなんだか異様にドキドキした。

どの曲も改めて楽しく感じたりする。
容易く出歩きながら聴けない環境(状況)が愛しさを助長させるのか。
秋の気配の様だからか。
あ、たぶんこの間MステでYUKIちゃん見て昔の感覚が甦って興奮してた流れかな。
原因なんてどうでもいいけれど、好きな曲の良さがやけに沁みる。
聴こえる曲すべてが愛しい。
こんな日は何にも代え難い貴重な時間だと思うんだ。


そんな今日はLM.Cのベストがマスタリングされてるのか。
そっか。10月もあっというまに訪れるんだろうな。

買いたいCDたくさん。
お給料入ったらごっそり買いたい。

















毎日残業で仕事終わる頃には土偶ヅラ。
どうも、わたしだ。

大した用意は出来ないが明日の弁当を作ったので満足。

ちゃんと弁当作るともっとお昼ごはんが楽しみになるんだろうね。
自分で用意した時がなぜか異様にたのしみ。
たいしておいしくないのに。
どんな気持ちの問題。

印刷課で無骨な機械を操る人々の様子を眺めていたら、
カカリチョーが試しにやってみる?と笑顔で話しかけてくれた。
余裕が出来た時があればいつかいじらせて貰いたいもんだ。
けれどこんだけ仕事カッツカツでみんなヒイヒイ作業してるとこで、
まさか触らせて貰おうとは思わん。

何より、そんな状況でもそう声をかけてくれたことが嬉しかったのさ。
無愛想な人の方が多い中、カカリチョーだけは初日から笑顔で
挨拶に応じてくれたのでなんとなく安心。

まだまだ個々のことは把握できないけれど、
ぼちぼち馴染んでこれたかな。

なんだろう、今更自分の席の上の蛍光灯がつけて貰えるっていう、
思いがけない状況だったけど。
今まで人いなかった席だから蛍光灯外されてたんだねー。
節電で暗さに馴れてたから人に言われるまで気付かなかった。

エタノールと指サックがお友達です。


SHOXXのmayaん二万文字インタビュー、
頑張ったけど時間的にも体力的にもギヴりまして完読ナラズ。
出直して読破致します(←つまりスタンディングりーだー)。


今の夢、それは7時間ぐっすり眠ってみたい。













毎日残業で細かい作業ぶっとおしで
流石の私も気が狂いそうだぁーーーー!!!


なんてね。

御冗談。

ありがたい話っすわ。
先輩の方が当然仕事大変なのだから。

けど、初日しか定時で上がれていないね。
日が沈まぬ内に帰ってみたい。
や、せめて整骨院に間に合うように…へへへ。

とっくに夏至は過ぎてたけども、ほんーと、
日没がめっきり早くなったもんだ。

日が長ーい夏の夕方は大好きだったのにな。
でもま、今年はおがめたほうか。


今夏は珍しくアイスとか洋菓子とか、
甘いもの食べたくなる衝動に駆られてる夏だ。

しかし食べる気力もないぐらい疲れてる。
アイスの棒持ったまま椅子で居眠りしてたりする。
手帳に日記書いてる途中に以下同文。



ゆっくり眠ってみたい。


ま、いいや。

気付けばお金も多少なり入るはずだ。






って目まぐるしく追われると、終わるんだよね。

追われた夢は終わる。


小さい夢は次から次へと出てくるから人生暇なしっすね。

でもせせこましくは生きたくなぁーいっ。







諸事情により教室が早く終わったので、
ひっさしぶりにぶら~り下北沢。
空芯菜を求めに歩いていると、
小さなギャラリーでアラーキー氏が2007年にライカで
撮り下ろしたとう写真展が催されていた。

こんな狭い場所でこじんまりと??
気になって気安く入ってみた。

下北沢(世田谷区)の区画整備問題について、
なにかしらがどうにかなりつつある、という事は知っていた。

古き面影が失われていくことについて自分がどう思うのか。
単に古い建物や雰囲気が好きなだけの自分にとって、
その場で反対運動のアンケートを手渡されても軽率に回答できない。

写真の良し悪しとか自分は正直わからない。
好きなもの、つまらないもの、興味ないもの、
その判別はついても良し悪しって実はどれだけ考えてもわからない。
やっぱり好きかどうか、かっこいいかどうか、
ワケもなく残るかどうかとか、ぱっと見た時の印象で感じるだけで。

教会の写真についての説明が耳に入って来て気になり、
場所の確認をしたらまだ現存しているというので行きたくなった。
国道54号線の補助幹線道路が確定したら潰れる可能性があるという。

展示の写真はどれもモノクロで、1枚100円だったのでこれまた手軽で
なんとなーくコレ、と思って今はないという古い建物のものを買った。
教会と悩んだけどなんとなくこっちにした。
それがどの場所だったのかをメモに控えるだけ控えて。

空芯菜は“本日の超目玉品”となっていて1束108円だった。
去年に比べて量少ないなーと思いながらも地元じゃあっても高い。
2束買った。
この間58円のぶなしめじを喜んで買ったらそのあと寄った隣町の
スーパーで同じものが5袋入って100円でショックで立ち往生した、
その無念を晴らすように思いとどまらずに買った。

スズナリ方面はよく知らないながらも多分わかると過信し、
写真にあった教会を目指した。

右手か、左手か、どっちに行けばあるのかわからず嗅ぐ。
知らない場所を進むことは楽しい。

結局のところどっち側でも到着できたと後にわかったが、
左に進み細い坂道の奥の濃い緑を目指すと、写真の場所に出た。
教会正面ではなく裏手の祠のような場所が見えた時、
下北沢で味わったことない緑の安心感を覚えた。

壁のくぼみには写真通りに聖母像。なんか都内じゃ新鮮だなと。
しっとりした空気の中で祠に近づき空洞に入って手を合わせると
Lvアップの音がした。テレレティッティッティー☆ 絶対錯覚。

教会には少なからずステンドグラスもあるんじゃないか?
そう思っていたら建物が古く、期待以上の古い雰囲気がそこに。
決して大きくはないけれど、側面の窓といいこれは中に入りたい!
と思ったのでまた今度出直すことにした。(開いてなかったので)

下北沢はよく来ても、好きな所と苦手な所が両極端に分かれてて
それは混ざりって融合することはなくてきっぱりな境界線を保ち、
マーブル状に色を成している、自分にとってはそんなイメージの街。

駅周辺の飲み屋になじみがあるわけでもない。
全裸で暴走するような人に出くわしたくない。
正直いつもの通り道は狭くて譲り合いの気持ちで通る人は少なく、
タバコ屋の店先や歩きタバコの激しい副流煙には懲り懲りしながら利用している。
しかしながら愛されている土地に根差した店やコミュニケーションの器と
なっているそれらの場所が軒並み追っ払われてしまうという事は、
よそ者ながらなんとなく見過ごせないようなそわそわ感はある。

いつの間にかお気に入りの店も把握していたし
あっちこっちそっちと用を足し易いし、
残念な事と言えばさっきの状況と、広い公園がそばにないこと位だ。

自分が最も愛着のある街についてだって、
一抹の寂しさは感じつつも完全な抵抗感を抱くことなく、
「正直仕方ない」そう思って泣き寝入りしたまでに終わっている。
一時期、隣街と合併とか噂されて、それは非常に嫌だったけどそれも漠然としていた。

さて、じゃあアンケートはどうするのか。
出すなら状況を把握した上で書きたいけど色々調べている時間もない。
また「なんとなく」考えながら行きついたのは、
行動にうつすのはきっとその場に自分なりの譲り難い何か、
言ってみれば愛着が湧いてはじめて守りたいと思うから、
そう思わない限りはピンと来ないし行動に出ないよなぁ… という事だった。

何の流れだったか、去年知った「ミケネコ舎」の存在を思い出した。
その店はとっくに閉店していて、でもネットで店内の様子、
特に窓ガラスかステンドグラスだかが確かいい雰囲気で、
ある内に行けていたらよかったなぁと後悔した記憶。

買ったポストカード。
あれ?もしかして。
控えたメモを調べてみた。

今は無きその古い建物。
それはまさに「ミケネコ舎」の店の窓だった。
このポストカードを選んだその理由はその窓が“なんとなく”、
ものすごくステンドグラスが似合いそうないい枠してたから。
「ここにこんな感じであったらいいだろうなー…」 夢想。
今となっては訪れる事の出来ない焦がれた空間。
一度忘れ去ったのに、また改めて焦がれていたなんて。

ポストカードに去年見た店内写真の色がおぼろげに写り込み、
モノクロ写真がセピアに発色し始めた。完全幻覚。

それにプラスして持ちかえったよしもとばななさんの
「下北沢のこと」という寄稿文を読み終えるともう、
アンケートは出せる運びとなった。

“それぞれの形でここへの愛を表明しよう”

「ライカ」+「アラーキー」+「よしもとばなな」で
私というヨソモノニンゲンの動力発生。

アラーキーもよしもとばななさんも特に作品を知らずにいたけれど。
名前だけは知っていたことでそんなきっかけが生まれたりする事実。
同時に知名度の力も思い知ったりした一件。


奇遇にも(?)下北も阿波の日で、鳴り物の音や太鼓の振動には
無条件に血沸き肉躍り、祭のある街の雰囲気が今年も愛おしかった。
しかし目指すは三鷹の阿波踊り。

ところかわっていそいそと、自転車で祭の気配に近づいていく。
愛着が違う、どういうわけか思い入れが違う。ワクワク感膨張。
目当てのみんながどの辺を通過しているかもわからず、
どっかしら誰かしらいるであろうけどそんなのも知らず、
嗅ぎ分けながら近づいていく。

誰かおらんかー! 誰か私を見つけてみてくんろー!

心の中で叫びながら見覚えのある女子発見。
久々に再会した彼女に踊る位置を教わり場所を突きとめ見入った。
逢いたかった踊り子に逢う。YASHA姫だらけーーーーー!!
かわいいなー かっこええのー と思いながらまた連が移動して行く。

人波を縫うの大変だなーと思いながら最後尾にうっすらついて行くと
誰かが呼びとめてくれ、わくわくして振り向くとこれまた見覚えのある美人。
子供もすっかり大きくなって、旦那さんも初めて見た。
美男美女ですの―。ここらの人はなんでこう揃いも揃って…。
再会の楽しさにより心踊りながらでも、逢えなかった人もいた。
たぶん来てるに違いないと思っていたその人とは、
文明の利器をもってしても逢う事は出来なかった。

どうしても逢えなきゃヤダとかではなく逢えたらラッキー☆
電話して居場所突き止めるほどでもなかったのだけど、
子供の姿と一家揃った姿をできれば見たかったので一応反応を待った。
珈琲豆買ってシードルとクランベリージュース買って、
念願叶えてやっとおいしそうな焼き鳥買って疲れ果て、
結局入れ違いで見れなかったけど元気な報告が聞けて良かった。
仕事復帰の時期も伺えたので、これでまた来年の楽しみが増えたってもの。

腹ペコで帰宅して焼き鳥にシードル、そして鯵の押し寿司。サイコー☆
おまけにデザートは先日のパインアポー。
未だかつて味わったことない甘さと柔らかさ。なんて幸せ。

ほんの1ヵ月前までは、このハローワークのある通りを
不安で仕方ないまま通ったりしていた。
いつどうなるかこの先も安心はできないけれど。

だけどこうしてまるで違う心境で歓びに溢れながら同じ道を歩いていた。
そんな現実がとてつもなくありがたくて仕方なかった。
ほんとよかった。


そして今日は卒検も合格できてやっと一段落。
経路総変更のせいでゴールの目標地点わからずに臨み、
案の定通り過ぎてもう終わったと思ったけども。
雨の運転も初めてだしコース逆走も初めてだし、
最後の最後でちょっと苦手な指導員さんが検定員に当たるし、
何かとハードルあったけど楽しかった。辛うじての合格だな。

クランクもS字も方向変換も縦列駐車も楽しいのに暫く出来ない。
それがつまらない。

こういう緊張感は楽しいな。たまに味わえるといいな。
今年はもういいや、あとは筆記試験クリアして落ち着こう。

気付けば母はまた善光寺参り。
長野行き過ぎ。