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そこはかとなく・・・

おもむろに書き始めてなんとなく終わるヒトリゴト。

ちょっとだけのつもりが目が離せなかった。
種田さんの美術見たさ、と思いつつかつて気になってた映画ではあったけど。

久々にすごくいい映画を観た。
といっても劇場でもTVでも普段数多くは観ないのだが。

こんな甘っちょろいブログなんか書いてる暇人生にないよ、もうブログやめよう。
ってさっき思った。
全身全霊で見入ってた。
もうこんな時間、って思って明日の為にお風呂に入り眠るのが遅くなるのが
いやだと思ってたけど、そんな事引き替えに考えるなんて愚かだよアンタ!!
いいものを観たな…うん。

この間観た「幸福の黄色いハンカチ(ーフ?だっけ)」もよかったけど、
悪人、本っ当観てみてよかった~~~。
心の掴まれ方、最終的な合点の行く所に達するかどうか、
それらのすべてにおいて気持ちがよかった。
変な後味は残らなくて、それぞれの登場人物の名演技によって
言葉ではなくて最後まで惹きつけた責任を果たして貰えた感じ。
って言葉で説明してる時点でおかしくなっちゃうな。

人間の心理描写が生々しくて重い映画なのかな、
っていう先入観はあったしそれはその通りだけど、
映画としてすごくきちんと誠実に作られていたというその気持ちよさで、
重苦しいだけの後味ではない、ある意味清々しさが感じられた。

ドラマや映画を観るってのは、作品の出来が素晴らしいほど
全身全霊を投じて感情移入して身動きが取れなくなるし、
内容によっては消耗する。
消耗しても得るものが大きいと後味悪くないけれど。
悪人はおもしろかったなー(しつこい…?)

そいやNHK連続小説「カーネーション」とやらも、
今日の昼間だっけ?ダイジェストで見てて超納得してた。
見て良かったと思える番組観れた時ってほんと嬉しい。
って、じゃあ今日何度も泣いてるじゃないか。

ただ日テレのCM挿入タイミングは相変わらずでほんと冷める。
「日曜洋画劇場」、洋画違うけど!!? と今更思ったり。


あぁ、こんな時間…。

来週の情熱大陸は見逃したくない!!!!!







仕事の帰りに妊婦歴4ヶ月の友人宅を訪問。
チャリで3分ほどの距離。
よくぞこの至近距離に住んでくれていたものだ。

手土産はなにがいいかねぇ、
スーパーでグレープフルーツと何かを探していたら、
兼ねてから食べたかった生食用無花果を発見。
おいしそうな物だったので期待できるかな、と人生初購入。
探してもなかなか良さそうなの売ってるの身近になかったんだ。

妊婦の友人がハヤシライスを作って待っててくれた。
この頃ハヤシライスも食べたいと思ってた所でラッキー。
腹ペコで、仕事帰りに新妻がごはん用意して待っててくれる…
にわか旦那の気分(大きく履き違い)でピンポーン☆

クレヨンしんちゃんが懐かしい。
この頃残業でずっと見てなかった。
なんの変哲もない日常が愛しい。
何の変哲もない穏やかさが手に入らなかったから。
結婚したい。
一時的な衝動なのかな?いやなんかこれまでと違う。
ま、今すぐにはそもそ段階的にバカげた話だ。
孤独ヤダなー。
ごはんは人と食べるのがいちばんおいしいよ。
どんな不和や障害が生じたとしても、
最終的にごはんだけはおいしく食べられたらすべてOK、
そんな風になれる相手見つけたいな。無理かも~フッフ~ッ♪

「こんな時代だから、結婚します」
あの横断幕の意図する所は結局自分には汲み取れなかった。
あっさり姿を消していたけど、今はなにか別の主張が掲げられているのかな?

こんな時代だから?

こんな時代であろうとなかろうと、目指す生き方は変わらなかったはずだ。
人間に生まれ、どう生きて行こうか、最終的に同じ見解に辿りつきたかったはずだ。
その道のりが短かくすんだか長くかかったかはわからないけれど。

どういうわけか、もうお腹がいっぱいだ。
新しいものに感動したり新境地を求めたり未知なるものは好きだけど。

どうして昨日、自分の中に新しいものが入る隙を体感できなかったのか。
もう溢れているからだ。
インプットしたいのではなく、アウトプットに徹したい時期に、
無理矢理にそれ以上は入って来ないのは当然のことだ。

そうか、それならばと。

もっともっとこれまでに大切になったものや人をだいじにしよう。
そこがまだ満ち足りていない。


無花果おいしかった。生は香りが楽しめるね。


友よ、元気な赤ちゃんを産んでおくれよ。








「好きです」
その、たった4文字を言えずにニアミス。


東京デザイナーズウィーク2011を観に行った。
先日拝見したばかりの好きな作家さんの新作の展示と、
Salyu×小林武史のLiveを兼ねて。

TAKEO PAPER SHOWからのはしごで時間は特定してなかったし、
きっと作家さんも逢う人多かろうと思って特に連絡は入れなかった。
地下鉄を乗り継ぐ中でSalyuの「プラットホーム」が久々胸の中でかかっていた。

到着するなりまず目当ての場所に着き、そこで作家さんにメールしてみた。
するとちょうどさっき出た所だったという。
あ、やっぱいらしてたんだな~と思いつつ、許可を得たので執拗に撮影。
アトリエでは実は、写真を撮らせていただいたことはない。まだ、なんとなく。

Liveは見逃さないけど展示も出来る限り観たい!!
駆け足で次なる目標「エルピスの空」へ行ってみた。
再びスタッフに場所を訊くと、私が去った後に「ミヅマだよ~!!」と
スタッフと話していた。注目度がどれだけ高いかを認識し合う様子で。

いや、いや。私は有名らしき“ミヅマ”を知らずにいた。
つい先日この展示のパスポートをいただいた作家さんから話に聞いて、
そうか有名なのか…とやっぱり自分は現代アートに疎いよな、と思っていた。
でも行ってみると、そこには数年前展示を観に行こうとして行けなかった
鴻池朋子さんの作品があり、すっかり忘れていたけど観るなり一瞬で誰のか
わかる個性に改めて心を惹かれたりした。

キャプションを見ないで(というかどこもかしこもキャプションは探しあてにくかった)
Chim↑Pomさんの作品に辿りつくかなーと思いながら観ていたけど、
込んでた場所がそうだったみたいでスルーしてたから戻って観ようとした…
が、映像とあって混雑と時間の関係でちゃんと観れなくて今回は断念。

どうせ整理番号うしろだし音さえちゃんと聴ければいいと思い、
開場時間過ぎても場内をまんべんなく周っていた。

ふと目の前に、小林武史氏の姿があった。
目がいちだんと今日は見えんくて、やや凝視。
あ、今観に来たのかと、そう思うや否や次はSalyuの姿が。
あぁ、あらあらちょっと!(←どこのババァ)

一度直接話してみたかったけど展示観る時間に危害加えるわけにはなー…
でもなんかひとこと言えたらいいのに、接触してみたいのに…
と思い、後ろについてるスタッフさんに「話しかけたらだめですよね…?」
と訊き、ダメですと当然返された。

そらそーや、しゃぁないわ。

と思いつつ自分が好きな作家さんの作品観てくれないかなーと…気になった。
しばらく遠巻きに姿見てるくらいならいっか、と思いMCでも話してたように、
音で遊ぶ様子など見つつ、自分自身が観たい展示見つつ。。。
ふと、コツコツと彼女がひとりで歩きだして、あぁ今だったらちょっとくらい、
話しかけてみても大丈夫なのかなーと思い「好きです」って言いたいと思い、
緊張してきた。
ところに男性スタッフがひとりにさせてはいけないとばかりに駆けよってきたので、
やっぱ遠慮してなんーも言えやしなかった。

この距離で………。

たぶん、言ってもよかったんだろうなと思う。
けど先にスタッフさんに確認しちゃったから、やっぱあかんかと遠慮した。

「好きです」
好きです、すきです、スキデス………

伝えたい気持ちを言いたいままに言うだけが脳じゃないのかと(?)。
Salyuの行動とは関係なく場内を再び観ていると、
行く先々の曲がり角などで何度も姿をみかけ、
そのニアミス感が段々おもしろくなってきた。
ニアミスではないのか?
壁ってあるの?
バリアー?
空気読めとか?

まぁ、考え方はいろいろ、人それぞれだけど。
丁度考えていたんだ。

「逢えても逢えなくてもどっちでもいい相手」 と思うのは2つのパターンがある。

ひとつはどっちだろうと興味ない、関心を持ってない相手。
もうひとつは約束したり狙わなくてもきっと巡り合わせがあるから大丈夫、
と思う相手であるパターン。

作家さんには逢えたらラッキーだったろうけど、逢いたかったけど、
絶対逢わなきゃ!というものではなくて(恐縮だから)。

Salyuにいつか遭遇できたらいいかも…とおぼろげに思ってはいて、
いざできて、でもこうして短時間に何度も見過ごして…
逢いたかったんじゃないの!?と自問自答したけど、
結論やっぱ私が逢って譲れない有名人って黒柳徹子なのかなって、
やっぱ徹子さんに逢えたら遠慮したくないなって考えて…。
要するにTPOなのか?

その昔、GLAYのライヴが観たくてでもチケットもってなくて、
会場着いたらたくさんのおじさん達が「チケットあるよ~」っていうから
「え?なんで!?ただでくれるものなの?(まさかまさか)」と思って、
当然違ってどうしようかと困っていたら気のいい親子がよかったら、
って一緒に観させてくれた席が最前列で、
メンバー達を目前に見た時に思った、
「あぁ、心臓の数はおなじ、ひとつなんだ」と思った感覚を思い出した。

一般人以外のナニモノでもない自分にとってそれは、
現実的すぎたリアルな実感。
言ってあたりまえ、だけど「すごい」と思ったり憧れた存在って、
なんか勝手に次元の違う世界の生き物みたく捉えてたりする。したんだ。
って思った、15の夜~♪

そんな記憶が甦って、話脱線。

願ったって、起こらないまたとない出来事。
自分の望みって、願いってなんなんだったろうかとふと考えた。

大好きな人間を目の当たりにするっていう、日常の中の非日常。

けれど今日も思った。彼女のLiveに限っては先日の、
仕事帰りにマッハで駆けつけたZepp公演の時同様、
“音楽(live)を楽しむ”というとっておきの予定を、
とっておきでありながら限りなく日常的に楽しめる。

すごく普通に自分の生活に組み込まれて(組み込めて)、
あー今日もいい1日だった。さー明日もがんばろう☆ って、
すごーく素直に思う。

そういう身近さって実はものすごく音楽(Live)に望む所ではあるけど、
アーティストの大きさや演る場所やイベントや、物理的な距離だとかっていう
現実問題で願ってもそうはいかないものであることが多い。
それはそれ、これはこれに過ぎないけど。

salyu×salyuではないSalyuの曲も歌声も久々になるので
予め覚悟はしていたけど、やっぱ胸に沁み入りすぎて涙腺決壊。
最初に聴けた「エロティック」の詞にはじまり、
各曲のあらゆる歌詞がわんわん降り届いてきてやばかった。
小林氏も音楽(音響)について熱くなりがちに話してたけど、
音として、音の響く作りとして今日あの会場で彼女の歌を、
大好きな曲達を聴けたのは本当に最高の環境だった。おもしろかった。
「コルテオ」では涙で滲む視界が功を奏し宇宙空間に吸い込まれる感覚で、
映像とのマッチングが今日感じた一番の「アート感覚」だった。

salyu×salyuの試みはこれまたやってくれたな~と
ニヤケがとまらない内容で好きだけど、
Salyu(×小林武史)の楽曲の素晴らしさったらない。
こうして久々に聴いて更に実感、好きにも大事にもなった。

何より、震災後に聴いたこととなった「to U」。
自分自身(とその日常)と、東日本大震災という現実との距離。
見間違い、見過ごしがちな現実との正確な距離をつきつけてくれた。


そう、アートの集りにはすでにもう、あの震災が外せなくなっている。
これが時代なんだなと会場でやっと気付いた。

正直わからなくて、ここ最近疑っていたんだ、
「こんな時代だからこそ」っていう言葉の意味。
あまりに耳にも目にも入り過ぎて。

各々が意思を持って思うようにできるように成していくことを
否定的に捉えたり見ているわけではなくって、なんかわからなかった。

こんな時代だからこそ って、どういう意味?

否定的に感じているんじゃなくて、
何にしろありふれすぎた時、風潮になった時、
ついふと立ち止まってしまう傾向に私は在る。
ひねくれものなんだろうか。

メッセージって何だ。表現て。
誰かが誰かへ伝えたい想いはあくまで個人的に存在しているもので、
それがこうしてアートという表現の場に一堂に会した時、
何かしらの違和感がなきにしもあらずだった。
ギフトショーを見て周って疲弊する感覚と似たものを感じた。

特定多数、不特定多数に向けたメッセージ。

否定的に見たんじゃなくて、大衆的な存在になった時
影に何か偶像モンスターが出来上がる気配を感じる。勝手に。

Liveが始まる前、まうしろの関係者らしき人達の会話が聞こえて。
明日はどんな大臣が来るとか、どうとか。
役職なんて関係ないし、お偉方なんてどうでもいいけどさ?
とにかく人を動かすのは人の想い(と自然・科学)に他ならなくて、
こうしたアートっていうのは、展示は、まず人目に触れて
意味よりもただ何かしら感じ取って貰うきっかけの場としての存在意義が
第一であるような気がして、またコニュニケーションの場であり、
脈が広がって相乗効果的な事象が派生していって、
やっぱ人って独りじゃ生きてなくて、生きれないし生きたくないし、
皮肉にも作品から直接ドカンと突きつけられたわけではないけれど、
とどのつまり愛がないとだめなんです。

とあるブースにて、
本日分のサンプル配布が終了してしまったと知り残念と呆然。
貰えるものなら貰いたかった、インク会社の色見本帳。
しばし見つめていると他の人が声をかけて下さり、
今日しか来られないの、じゃあ送ってさしあげますよと
わざわざ手配を約束してくれた。
名刺を渡され、でも私は名刺がないので
ただ、インク(色)とか紙が好きなだけで…!!というと、
それはいいと楽しそうに返してくれて。
商業的な話に転がらないと掌返す人って、
こういう展示の場には案外いてその度におもしろくない
想いを味わったりしてたけど、その方は時計を見て、
「“今日の○時頃ブースで話した”って内容でメールくれればわかるから」
と最後まで親切に話してくれて、楽しかった。
サンプル逃さなければそういうやりとりもなくただ手にしただけ。
けれど丁度TAKEO見本帖を行ったことや自分は色味の差異を検品する側だと
仕事の話もすくなからず出来て、本当一瞬で凄い楽しくなって。


そんなおじさんと話し終えてLive会場に向かいながら、
9月に最期のお別れをした大好きだった素敵おじさんを思い出した。
背格好?めがね?白髪混じりの髪の毛?気さくなところ?
顔が似ていたわけじゃない。
なのにもう、その方の顔はあのおじさんでしか回想できない。
「コルテオ」聴いててもう二度と逢えないその人を想ったらまた涙が出た。
そういえば、見送ったのもこの外苑前を降りた所にある場所だったと。

大好きな作家さんの作品がそう遠くない場所に在ることを感じながら、
大好きな音楽を聴けるのもまた幸福でしかたなかった。
彼女の歌声と歌詞を聴きながら最高な幸福感に浸れた。

愛はまだわからないけど、
ありがとうと愛はほぼイコールだ。
音楽と書いて愛と読んだりもする。

素敵な1日だった。
11月ってそういえば奇跡的な巡り合わせみたいなこと、
ちょいちょい起こっていたっけ。
そしてこうして何かに触れながら半生を振り返って、
自分の立っている場所、向かいたい方向について考えたり再認識したり。
自分にとっての総括のタイミングはいつもこのぐらいにある気がする。

ほんと、色々考えては甦った日。

大切な記憶や好きなものはしまい込まずに、
時にはめいっぱい広げてうんと眺めて楽しんだらいい。

自分の中にある価値観は、そうそう変わらない。
ミーハーだけど、本当に好きなものはなかなか消えない。
愛しているからね。









オカミもトラも大大大好き。
かっこいい、かわいい、はぁ~たまらん。抱きつきたい。

イヌとネコどっちが好き?
じゃなくてオオカミとトラどっちが好き?って誰か訊いて。
すごく悩むけどきっとホワイトタイガー!!って思うであろう。

何ひとりごと言ってんだ。

東京デザイナーズウィーク2011が今日から始まる。

どうしてこんな大きな規模で歴史あるイベントに
今まで気付かずに過ごしてたんだろう…
教えてくれた作家さん同様、自分も本当にそう思う。

行けるといいんだが。人混みと規模を思うと気迫負けしそう…。


にちようび。
ポケット動物図鑑握りしめて電車を乗り継いだ。
片道約90分弱の道のり。往復で約3時間。
乗り継ぎ上手く行けばもっと短いけど。

再び訪問させていただいたアトリエは、
改めて羨まし過ぎる環境だった。

本物の猫こそいないけど、猫の作品が多数あり囲まれている。
自分では見つけられないような音楽と弾けない楽器がある。

少しばかり古い、赤茶けたタイル貼りのビルの中、
運が良ければ焙煎の香りが漂ったりもする環境。

音楽と珈琲と猫とステンドグラス。

それがあれば他に何もいらないとは思わないけど、
それが揃うなら最高。 と思っていた理想が、
気がつけばすでに自分がお邪魔していたその場所だった。

作家さんの名前と作品を広めたいと思うけど、
誰かれ構わずやみくもに知らせたいわけではない。

ここのブログは気ままに書くから、
個人名を出してアピールしたくても、諸々ちょっと責任持てない。
ご本人に無断ではあれこれ勝手に書けない。

けど、ものすごく素晴らしい作家さんなのでその作品を観られる場所が、
環境が、機会がもっともっともっともーっとできたらいいのにと思う。

というか先週くらいにそんな願望を強く持ち始めてること自覚して、
胸が熱くなって涙が出てた。


そんな作家さんに、親切に技術を教えて頂けている。
あんなすんばらしく理想的な環境で。

コレはヤバイ。

色んな意味でやばい。自分自身の至らなさとかも痛感するけど、
その作品達の魅力ったら半端じゃなくて、その意味でほんとやばかった。

初めてそのアトリエ訪問した時よりもずっと、もっともっと作品に惚れてきた。
だからもっとたくさん、観ていられる場所が街中にあったらいいのにって思う。

どうか。どうか…。って毎日のようにこのごろ願う。



どうぞ皆さん、東京デザイナーズウィークに足を運んでみては。。。








冗談じゃねーでげすよまったく。
自転車盗難のヌレギヌでどんだけ私の人生の時間無駄に費やされてるんだって話。

図書館閉館するから急いでたのににしつこくしてくるから、
停めとくから勝手に調べろ!って言ったわけだが。
自転車14年使ってりゃ登録番号とっくに読めないっての。
金輪際聞かないように登録しとけ!って前も言ったのにあのやり方ほんっと不毛だよ。
同じ事の繰り返し。
お陰で取り返しのつかないことになったのは誰の責任だ、
つったら我々の責任じゃないという。
私の責任でもあるわけないのだからじゃぁ誰の責任だと訊いてみたら
そんなのわからないという。
仕事の意味も把握できずに人さまの時間に迷惑掛けやがって。
なんでそんなに怒るんですかぁ~ってバカか!!!!!
だから給料泥棒とか言われて役人ひとくくりみたく言われんだよ。

そもそも名前聞く時は自分から名乗るのが礼儀だろう、
そんなのも出来ない輩ども。

結局こっちの態度が逆に面倒になったのか無言で諦めてるから
はぁ!?と思って立ち去る前に名前こっちが問い質してやったら、
後ろ向いたまま言いはなって去りやがったもんだ。
「○○○警察署の●●!?」ってうっかり呼び捨てで聞き返して確認取っちゃったよ。
時間惜しかったけどげせないからそのまま話しつけに行ってやろうと交番に向かった。

向かう先の前方には迂回して交番に舞い戻る●●の姿。
交番に戻って自転車を停め、同僚に私の事を言っているであろう●●の姿。
二人で話してバカにして笑ってらっしゃってそうなその数秒後に正面切って
「話しつけに来ましたけど」つって交番訪問。
なにがですかってしらっと●●。
あなた●●ですよね、って確認を取った所でさんざんな話をさんざんだと言った。
どうせそれで何が変わるだろうとは私もバカではないので微塵にも期待しない。

ただ勝手に話しかけといて最終的に無視とか無言とかしらを切るとか、
こっちが逃げたとか卑怯みたく陥れられてはたいへん気持ちが悪いのでございます。
そして同じ事を繰り返されるのは懲り懲りなのでございます。

だから今後、今度こそ同じように呼び止められても同じことになるのを
せめてわかっておけと承知いただきたかったわけですよ。
あんた逃げた…いや無言で立ち去ったよな!?と訊いたら
「あなたを信じて帰った」みたいな事言いやがって、ほんっと腹立った。
だったらそう言って完結させろってんだよ。
その程度で済む公務なら最初からすんな、声かけんな、って話で。
綺麗ごと言って丸く収めるのはハイハイお上手だー?

バカかっっっ!!!!

易い敬礼で場を納めようと見受けられる●●に関しては釘刺して
もう呼び止めない事を口約束させ、もう一方の責任者を名乗る人にも
もし他の警官に呼び止められても同じ態度取るからなって予め宣告しておいた。
誰の責任かわからないじゃないっつんだよアホか!!
不毛、ほんと不毛。
もし他の警官に呼び止められたら○○○警察署の●●了解済みですって遠慮なく
名前使ってやればいいかなと思う。
こっちの名前も名乗ってるんだけらリスト挙げとけ、情報共有しておけと思う。
ブラックでいいから、ブラックで。犯罪してないし。
ほんとあの不毛な取り締まり方法変えて欲しい、
そんな無駄な勤務時間費やしてないで性犯罪者のひとりでも捕まえろ、
パトロール強化やおとり捜査で成果を出してみろと思う。
そんなんで給料貰ってるなんてほんと腹立たしい。

今度●●見かけたら名指しで挨拶してやるさ、
「自転車盗んでないですしぃ~~~~~~~~~~♪」って言いながら通過してやるさ。


腸が煮えくり返りいてもたってもいられない事態に久々に陥った。
空腹だったので余計に感情的になりそうだったので最大限気をつけたけど、
結局警官を呼び捨ててしまったのはまぁまぁ失礼だったと省みるよ。

だからね、「とてもそんな人には見えない…」って決まり文句はもうよくない?
人は魔が刺す、とかついカッっとなって、とか瞬間的な沸点で過ちを犯すもの。
溜まりに溜まってその沸点に行きつく可能性を誰しも孕んでいるのだということ。
全員そうだ、というのはあまりにも乱暴で暴言の他ならないかもしれないけれど、
悪条件が出揃った時に何をしでかすかわからない、つい、うっかり犯罪に至る事がある、
そういう生き物だなという前提を、少なくとも自分については把握しておこうと思う。

図書館に戻って図案作成のため肉食獣の図鑑を探しつつも、
空腹に急な怒りで変な分泌物が過剰に出たのか貧血風味で卒倒寸前。
「今頃軽井沢ではLM.CのFC旅行か…こ…この落差ってなんだ」と思いながら本を選び、
こんな文句書いてること自体が不毛であることを重々承知なのだけど、
なんだかやっぱ誰かに言わないと気が済まなくてな。
せめてどっかの警官が読んでくれないかな、ねぇ。

母に簡潔に言った所「あまり行政に刃向わない方がいい」みたく言われ、
その言葉に逆撫で全開でもう炎吹きそうだったわけ。吹かないけどさ。
そういう事なかれ主義がほんっっっっっっと無理、
自分だって言いたくて言うわけじゃないことぐらいわからんかぁ~~ねっ??
事なかれ主義側の皆さん。

ただ極力、穏やかで生きていたいのにそうさせない現実に陥れられて
泣き寝入りって本当に許容し難いじゃあーりませんか。
波風立てたくないのよ、本当に。

世の中には拷問さながらの状況から解放されたくて無実の罪を被った人がいる。
行政に何十年と反発するエネルギーを燃やし続ける人がいる。
その人々を思ったらこんな自分は平和ボケの中に住んでると言える。
幸せなことだと思い、やるべきは遂げたのであとは図鑑とにらめっこして、
明日の創造的に、建設的に過ごせるであろう時間に意識を集中させるべきなのだ。

バランスだ。
きっと豊かな時間を迎えるために不毛な時間に足引っ張られたんだ。

下手にちょっかい出してきたら噛み切ってやる、
と署の者共に対してふつふつと聞こえてたハラワタの音は、もうしない。





豊かな時間を。
創造的で、愛しい時間を過ごしたいじゃございませんか。


そう思うからか、昨日のニュースで新しくなったという
LIONのチャッチフレーズ聞いて、その発案者の考え聞いて、
また、
若者が団地住まいを始めているという新しい傾向にすげー号泣したんだ。


人はひとりじゃ生きていけんよ。人として。




みなさまよい週末のお時間を…。









政治家とは、他人の気持ちを思いやれない人のことをいうのか?
政治家とは、デリカシーのない人のことなのか。

個人的な思いが入ったにしろなんにしろ、
特に今年同じような出来事が繰り返されているというのに、
どうしてそんなにも発言の影響力を考慮せずに口走れるものか。
公徳心は養って来られなかったのか。
理由がどんなであれ、立場を考えなさすぎる者が次から次へと、
ほんとうに不思議でならない。

こんな事をつい思わずにいられなかった、さっきのニュースを見ていた部屋。
その部屋の天井間際には、小さい頃から当たり前に見てきた色紙があり、
そこにはただ“思いやり”と書かれている。
筆:渡部恒三、ここで今一度ネット検索。

なんであの色紙があるのかとても謎だった。
幼いころ父が仕事(会社)絡みで持ち帰って来た記憶。
レプリカなんだろうけど、なぜだろうと思いながら読んでいると
会津訛が特徴的な人だと書かれていた。なるほど同郷のよしみなのか。

“思いやり”

その言葉を理解できない歳にその言葉の意味を聞いた。
もしかすると未だに履き違えているかもしれないが、
わからなかったその言葉の意味は生きてきた中で培えたつもり。

その筆者が渡部恒三氏であろうとなかろうと、
理解してきた“思いやり”に解釈の間違えも差異もなかったろう。
原発推進者、その人間が書いた言葉だとしても。


上関の長が決まり、しばし報道で取り上げられていた中で
推進者は自ら原発を「必要悪だ」と語っていた。
一言では言えない地元民・周辺住民の想いがある。
暮らす・生きる・その為の手段、選択に至る価値観については
一概に言えたもんじゃない。
最後の手段なのだと、仕方のないことなのだと語らせている、
この現実が憎たらしい。
何よりも、上関の住民の皆さんの中でまっぷたつに割れ、
お互いに譲れないがために対立し続けざるを得ないという、
そんな現実に胸が痛んだ。

故郷を愛し大事にしたい、それぞれその思いは一緒なのに。




今年も福島から新米が到着した。
受け取っても父は開梱もせずにずっとほったらかしだったので、
仕方がないので中に何かしら添えてあるであろう文書は私が取りだした。

親戚のおじさんの言葉はただただ重々しく、
最後にはお孫さん達を思う気持ち、
次世代に安全を残したいという思いが綴られていた。


排除してもしきれない、残したくても残ってしまう、
自分の生涯で責任を持って落とし前がつけられない。

じゃあそれは、手を出し続けてはならないってこと。

色紙外してもいいと思うんだけど、
“思いやり”という言葉そのものには何の罪もない。
このまま大事に掲げてみておこうと思う。

いまのところは。















・トースターの焼き上がり
・眼圧検査でくらう小さな突風

このふたつは今に来るとわかっていても、
どうしてもびびってやや飛びあがってしまう。
なぜだ、なぜなんだ。予測できているのに克服できない。

わかっているのに克服できない、苦手それはこれもそうだ。

・夏が急に秋めいた瞬間

夏にフラれたみたいでさ。
んな夏女でもなければ秋って大好きなのにさ、
自分のこれまでの経験がきっとそう思わせるんだろう、
どうしてもこの寂しさが克服できなくて。

昨日も他愛ないことでなよなよなやんだ。
大したことじゃないじゃん、いくらでもまた希望作れるじゃん、
そうは思ってもやっぱり心と頭は別物でだめな時はだめなんだね。

いや、大したことだよずっとずっと克服できてないんだもの。
いや、だめじゃないよ頑張ってもうまくいかないだけだもの。

自己否定に陥らないよう、立ち往生しないように、
幽体離脱みたいな感覚で体育座りでいじけてる自分の姿を横目に、
迂回してジョギング並の足どりで通り過ぎようとしているイメージ。

だけど、チラ見チラ見チラ見チラ見…

へその緒みたいに心根があのいじけ虫と繋がれたまんま。

あーあぁー…。

悲しいなぁ。寂しいなぁ。


注意力散漫なくせに負の事象には無意識で注視しまくってる性質。
把握してからは機転利かすよう、創意工夫に勤しんで来たけどね。

考えていると悲しいなぁ。考えたらその分、悲しい。

くだらなくないくだらなさ。

ぼやいたら少しは気が済んだかな?済んだでしょう、
ってことにしてひとりごときりあげましょうぜ。










悔しさの 勢い余って 北千住

不合格の悔しさのあまり一所に止まれなくて勢い余って
府中から北千住まで爆走したあの日から8日。
(流石に北千住までチャリじゃないけど)

♪これが最後と心に決めて♪
二度目の試験でやっと免許取得できた~…。

何が悔しかったって。
残り数分の最後の最後で危険予測問題を書き変えたが為に不合格。
そんな余計なことさえしなけりゃ一発合格でお金も時間も
最低限におさえられたのに。

なんで書き変えたんだ猜疑心のバカ!悔しい悔しい悔しい∞…

そんなヤリキレヌエネルギーで北千住まで猛進した結果、
やっとこ迎えに行きたくても行けていなかった物を調達できたんだが。

そこはかとなく・・・

10年前に調達した財布と同じ大阪のメーカーの別シリーズ「メロディ」。
仕事が決まったら、収入の目処がたったら買おうと思ってたのに、
いざ買おうとしたら廃盤になってたので問い合わせたところ、
得意先なら在庫をあるだけ手配できるってことで指定されたのが北千住。

本当はこれまで使っていたお財布が使いやすくて重宝していたので
同じ型で買うつもりだったけどすでに完売。
散々悩んだ挙句この型と色にした。

今までのも休み休み使いつつだったけど、
暫く使い倒していたからこれでやっとしばらく休ませてあげられる。
願わくばずっとずっと使いたいんだ、半永久で。

きっとその店へ行けば鞄もいいものが見つかるんじゃないか、
にわかに期待していた通り永くお供して貰えそうな鞄が並ぶ店だった。
いい加減合わせやすい無地のキャメルのショルダーでも買わねば、
と思っていたけど結局惚れてしまったダルメシアン柄のショルダーにした。

ルミネの中に移店しながらも下町ならではの粋は失くさない、
その証しでもあるかのように買った財布には“ご縁があるように”と
リボンをつけた五円玉を入れてくれた。

易くはないけど手が出せた値段。
お財布も鞄もきっとこの何年も愛でながら使います。


この頃携帯(壊れかけ)に新たにつけた。
そこはかとなく・・・
かわいいかわいい(*´ω`*)ホワイトタイガー♪
その内ちゃんと虎模様塗装したいなぁ。


先月から傷んだ顔面に念願のAYURAデビュー。
そこはかとなく・・・
(写真の撮り方が一辺倒。)


たまにこうして大きな買い物(自分の生活水準的に…)しては、
忘れてた歓びを体感してなんだかやたら幸せになるもんで。
女らしい買い物とか、少なからず必要よねぇ~~?…と省みる。

でも結局根は変わらんな、根は。

この財布はミュージシャンではないながら、
愛音家としてのささやかな主張でもある。…つもり。


今日ニュースを見てて偉人さんが亡くなられたと知った。
56歳だったという。
そう聞いて思い出したのは素敵な素敵な小さな巨人さん。
「あれ?1955年生まれは今年56歳じゃないか」
おじさんも生きていれば今月で56」歳になられていたのだと、
すっかり勘違いして「5555」なんて書いてた、
ひたすらおじさんの歳と死にとらわれ過ぎててちょっとした
違和感にまるで気付けずにいたんだなーと振り返った。

間違えに気付いたけれどわざわざ直すまでもないや。


運転免許証を手にするにあたって少なからず努力した。
ひっかけ問題は己の正直さ・素直さを試されてるようで
先週は本当に悔しくて悔しくていかんともしがたかったけど、
平日仕事を休むのはものすごく肩身が狭かったけど、
(休みとるのは嫌な顔されないが)やっぱり試験は楽しい。

自分の能力に対してどんな結果であれ反応があり、
結果が見え、輪郭が把握できるその有り様がおもしろい。

どんなに最悪な点数のテストでも返却されるのが
楽しみでならなかった学生のあの頃と同じだなぁと
今年は何度か実感する場面があった。

そして献血したくてももう1歩で数値が足らなくて献血できない、
そんなヘモグロビン事情も一向に打破できない。

いつか献血する(できる)のが夢なのに叶わない。
悔しいぜ。


取りたての通行手形を提示する場面が本日2度あり、
便利さを早速実感。
そんなして奔走してたら今日ももう終わっちゃうのか。
さみしいなー。


免許取得だの、年金支払い40年だのって、
例えば運転する時間も音楽を聴いている時間も
おいしいものを食べたいと望み動く時間も食す時間も
整骨院で治療を受ける時間も大切な人々と過ごす時間もなにもかも、
私って命の身の上には大したことではないながらも時に大したことでありつつ、
もしも地球本位で考えてみればあまりにも些細だって事実に疑いの余地はない。

何が正しい・間違っているではなくて、
ものごとを捉える枠をもうすこし拡げたいとなんとなく思った日だった。

私はまったくもって林檎達に疎いけれども、
その発想のスケールだとか基準だとか着眼点が次元レベルで違う人間を想った時、
価値観の開拓を自分なりに進化・深化させていきたいじゃないかと思った。
おこがましいと誰かに思われようと関係ないの。
だって自分の可能性を自分で狭める発想だけは下らないと言い切れるでしょう。

先週観た「フレデリック・バック」展から得た教訓の延長上に、
まだ無限に何か見つけられるはずだ。








1955年生まれの人は今年55歳だ。

あの素敵なおじさんのことは、
思ったように段々と薄墨色の悲しみにまでなった。

立ち止まる時がなければ思い出すまい。
自転車漕ぎ回って諸々の想いの配達を済ませ、
おわり間近の銭湯でやっと一息ついて空を見た。

曇っている、その空に、眠る最期の顔、思い出したら泣けてきた。
やっとじっくり想う事が出来た。逢いたかったな、あの場所で。
55歳、どう考えても悔やまれて仕方ない。


先々月までお世話になったバイト先へやっと挨拶に行けた。
店長はじめみんなにすごくお世話になったけど、
中でも最も仕事を共にしてて楽しかった社員さんがいた。
どうかその人がいてくれ、どうかどうかと念じてたので良かった。
相変わらずの素晴らしい笑顔で迎えてくれた。
「シフト(の提出)ですか!?」と飛んできてくれたのが嬉しかった。

結局のところ、ひとなんだなと先日から仕事について再度実感している。

今やっと、仕事が趣味みたいに思えている。
まだ仕事へ行くのが嫌だと思った事はないし、
なるべく早く先輩の助けになれないものかと日々思うけど、
まー易くはない。

仕事を好きと思える事は幸せだけど、
そう思える事が偉いわけではない。
ここに来てそんな風に考えるようになった。
ずっと、仕事を愛せることが最高だと思っていた。

残業で平日行けなかった整骨院。
人手不足に加えて大混雑で久々に大変そうな時間帯にぶつかった。
タイヘンそうだなー、ナイスファイッ☆
応援するったって世話になるばっかで何もできやしないので、
会話に気を遣わずにいてもらうべくおとなしく黙ってみてた。
そして退屈しのぎに考えてみた。

患部を1PUSHするごとに毛穴からマイナスイオン
でも発生させられたらいいのにと。
毛穴から愛、蒸発させられる人間にほんとうになりたい。
まだまだ修行が足りないけどいつかそんな人間になりたい。

あ、とか書いてたら重要な事思い出せた。
実写版の妖怪人間ベムが始まるじゃぁないか!!
ドラマはしばらく何一つみてなかったけど、
あればっかりは見逃せないと鼻息が荒くなる。

黄金バットとデビルマンにも憧れる。
あぁ妖怪系統カッコイイ。


なんだっけ、うんと。
ま、いいや。


先日の朝また思った。
あー今すぐ沖縄行きたい!!って。

広い空見上げながら去年沖縄で出逢った
流浪の歌うたいのことを思い出した。

旅に次ぐ旅を繋げて生きてきたその人は、
私にとっては未知の体験や未踏の感動を
これでもかってほど知っているに違いない。

たまにその人の日記を読むとどれも純粋で、
決心を一言一句に丁寧に刻み込んで綴っていて、
生きる という時間をとてつもなく大切にしている
その様子が見て取れるから心が洗われるようで。

流浪の旅人にどこかでものすごく憧れるのは、無意識下で
自分は旅人にはなれないと自覚しているせいなのかもしれない。
完全なる旅人には徹せないことを、
ミステリーハンターにも珍獣ハンターにももうなれないってことを…。

その人が弾いてたワイゼンボーン。
またその音色を聴きたくなったな。
でも先ずは、その人が歌ってた「鱗」を聴いておこう。

沖縄、ほんとまたすぐにでも行きたい。


















もー目まぐるし過ぎて意味解らん。

参列した時の引き出物の包み紙も捨てられないと眺め、
ひろげっぱなしで休日の代替出勤で土曜も出、
支度する余力なしで仮眠したら畳に突っ伏してた。
起きればよく読みとれないメモが手元に。
どうやら美の巨人見てサグラダさんのこと走り書きしてた記憶。
ダイイングメッセージか。

いやーよかったよ美の巨人。
サグラダさんが鐘楼であるという視点での特集、嬉しかった。
行った時に比べて様子が大きく変わってた。
最低限年に1回でも行きたいものよね、無理だけど。

目覚めたら新幹線にまた遅刻すると慌てて飛び出した。
こんな朝っぱらからまた長野。今回はどうやら間に合った。
長野33℃。先月に続いて真夏日、焦げた。

でも馴れだろう、行くまでがしんどくても着いてしまえば。
やっぱ朝早く移動した方が向こうでリフレッシュできるもんさと。
そんなもんさと…行ったものだが行ったら行ったで更なる情報過多。

今まで行けなかったいくつかの場所を訪ねると色々また
おもしろそうな話聞いたり思いがけない繋がりがあったり。

南千歳で気になってた小さなアンティークの照明店、
話すつもりはなかったけど話し始めたら止まらなくて、
終いには「インテリアは小宇宙」マスター格言出てきた。
今文字で見るとしっくりこないが話す過程ではシンパシーだった。

むかーしむかし、私が珈琲関連としては初めて勤めた喫茶店のこと、
そのお店の旦那さんのアンティークコレクトに憧れて、
この棚の品々集めてこうやって飾ってるんだよって。

本当にそのむかし、この地元で体験した感覚と同じ感覚で
その店を訪ねて入り込んだ不思議な空間。地球屋みたいで。
そんなん話してたらアリエッティの話になって。
憧れのウランガラスについてもよくよく話せて。
照明専門で40年、気さくなおじさんでおもしろかった。

そんなんしてたら割と時間足りなくなって、
駆け足で蕎麦と墓参りと藤屋さん。
多分10年以上ぶりに入った藤屋さん、
「野いちごとマンゴーの二色(ふたいろ)シャーベット」が
すんごいおいしかった。まさかおつくりになった物とは。

口約束通り戻った先で天龍村の伝統野菜のナス買って、
駅で母と合流した。母も駆け足だったようで15時のランチ。
なんだろうね、それでも今週また日帰りで長野。所謂キ●ガイ。

上田がおもしろそうと思いつつ約束の地、親戚の待つ佐久へ。
遥か山奥に進んで夕方。

山荘に到達するまでの山の斜面に埋め込まれた石段は
おじさんが20年かけてせっせと運んでつくったという。
その数は5000個にも及ぶとか。やりすぎだろう。
中には25㌔越えのものも。エジプトの民か。

足場がなかったら確かに登れたもんじゃないけど。
日が落ちる前に、太陽は見えないけどせめて夕焼けを見に外へ出た。
ススキ野原に進入してただ、ただ静かに空眺めたかった。

数日前に再び、四つ葉のクローバーを見つける夢を見た。
探して遊ぶ予定もないと思っていたけど、試しに足元を探した。
流石に前回同様、夢に見た構図の通りに見つかりゃしないかと諦めかけたが、
見つかった。ほぼ夢で見た構図の通りに、また。
それも根が同じ場所に4つも。
おもしろいもんだなと思う。
夢に何か意味があるなら知ってみたい。

今朝は右手でオムライスにケチャップで文字を書いて、
それを脳の訓練の為に左手でマスタードでなぞりましょう、
って英才教育受ける夢見て目が覚めた…。

取り敢えずあげて喜ぶ人がいるならと、
強欲の極悪人みたいだなと思いながら摘んでいただいた。

夜はやっとゆっくり星空を眺めた。
星って、星って瞬くんだよな…見えるものの違いにそう再認識。
そこまで満天とは言えないけど普段見上げる空とは格段に違う。
こういう星空を知らなければ、「降るような」とか「掃くほどに」
とか「瞬き」とかいった表現は出て来ない、
自分には非現実的だったわけだ。などと考えた。


「死んだら星になる」 は?

不意にまた、見届けた素敵なおじさんの顔を思い出したんだ。
時間が経つに連れやっぱり薄らいで行くあの時の感情。
このまま滞りなくするすると流れ出て、消えていく。
きっとそうだとわかりながらもやっぱり涙が出てくる。
なんでもう生きていないのか。
もう一度話してみたかった。
そればかり。



更埴の人曰く、星を見るなら長野県でも小川村と原村がいいらしい。
その星空の光景、決して想像の及ばない境地に違いない。