帰り道遠回りをして地元の神社の前を通って来た。
出雲大社へ行けない代わりに出雲と所縁があるこの場所と接するようにしている。
宗教画に受胎告知があたりまえのようにあることを、
私は感覚的にすんなりと理解できないまま生きている。
それは単に「母親」というものから自分の存在が遠いことに由来するから、
などと考えたりしている。
受胎告知が宗教画として多く在るのは何もキリスト教に限らないのか、
ということを初めて考えた。
半年前に訪れたお寺さんの仏教のステンドグラスも然り。
そして気付いた。
そのお寺さんの資料を持参し渡しに行ったその時にこそ、
ご懐妊のお知らせをその相手から聞かされていたのだった。
それを職場で公表するタイミングでもあったその日に。
受胎告知の重要さとか、身の上に実感する事はないけれど。
かじる程度なままながらもっと踏み込んで勉強して行く必要を感じ、
せっかく手にしている教材をめくり直している。
先生にした相談。
もう少しよく考えると言った後にどんな考えに私は至るのか。
昼間、久しぶりに世田谷の歩道橋のわずかな隙間から晴れの富士山が覗けた。
梅雨以降、そこから見通せるほどの曇りない空はそうそうなかった。
ひそかな楽しみ。立ち止まってしばらく覗く。
満足してその場を去り、振り返るとうしろを歩いてたおじさんも覗いていた。
足元に広がる工事現場の様子を確認していたのか、富士山を眺めたのかはわからないけれど。
帰宅すると母宛に無数の日本水仙が届いていた。
ダンボールいっぱいに母が大好きな水仙の束。
福井の同級生が毎年贈ってくれているようだ。
箱を開けるといっぱいに広がる水仙の上品な香り。
自分が好きだったわけではないけれど、母の影響ですっかり馴染んだ。
箱いっぱいに母の大好物を贈ってくるなんて、そのご友人は本当に粋だなぁと思う。
それもそうなのか?呉服屋さんらしい。
私はなーんも貰いやしないから、明日から色々配り歩こうかな。。