健全な精神と健全な身体から。
行き着くところ、そう。
それぞれの身の上にそれぞれの事情があったり、
情況もそれぞれだったりする日々の中で。
昨日、今日と膝突き合わせて話す相手がそれぞれにあって。
元職場の同僚と、今の職場の上司と。
対話することの重要さを実感した。
私よりいくつか下の世代にはその世代の時代背景があり、
どうやらコミュニケーションの常識も認識も違う。
摩擦ばかりで磨耗して、くたくたに磨り減った心情を思い出す。
ないものねだりだから、人は。
あの時はあの時で大変だったのに。
今はまるで毒がなくなってどこかものたりないだなんて。
それもよくわかるんだよ。
不必要に波風立てるつもりではないけれど、
黙っていることが出来なかった。
理路整然と考えを述べられたら何かと労力節約できたろうに、
いつも心の整頓ができないままに、伝達下手で。
泣き笑った2日間だった。
自分について少なからず確認が取れて嬉しくもあり、
自我と向き合いすぎて胸に鉛を流し込んだようでもあり。
吸収と消耗が同時に起こって平淡ではなく、
決して晴れやかではないけれど、でも。
いい時間を過ごせたなと思うし、
自然と穏やかに在ろうとしているからいい兆しだと思った。
きっと、生きていることに意味なんてないと思う。
だけど、生き抜いた果てに何か意味がついて回るかもしれない。
今、生きている私はそう考える。
あまり生きている意味とか考えて捉われない方がいい。
他人と対話することでいくらかの自覚が出て、
また違う角度から色々考えたりするけれど案外、
あっさりと答はあったりする。
とてもシンプルな答えがあったりする。
いっつもそう。昔っからそう。
到着したいところは半分以上は見えてるのに、
そこに行き着くまでの過程が不鮮明すぎるんだ。
それぞれの身の上に、ぞれぞれの状況でしかないから。
自分が生きているならば、懸命に生きるだけ。
ただそれだけのことと、余計なことは排除して
今日も感謝の気持ちを忘れずに眠りたい。