ちょうど1年前、ブログを続けて書いてみようかとやり始めたが、やはり続かなかった。
あれから1年。母の状態はよくも悪くもならない。現状維持だ。
でも、後退はしていないから、喜ばしいことなんだろう。
去年の4月15日から肺炎で入院したのを最後に入院はせずにすんでいる。
それもこれも全てヘルパーさん方のおかげだ。
巡回型のヘルパーさんをケアマネさんから紹介されて利用しだしたのが、2017年の11月から。
このヘルパーさん方が来てくれなかったら、私はどうなっていただろう。
恐らく、倒れるか、病気になるか、なにか大変なことが起こっていたと思う。
実際、2017年10月には3週間も寝込んでしまうこともあった。
去年は自分の子宮筋腫の手術もあった。
なぜまだこうして在宅看護ができているか、自分でもよくわからない。
それほど、ヘルパーさんが来てくれたことは大きかった。本当に本当に、これは介護で一番感謝することになるだろう。
それでも最初のうちは任せきることができない自分がいた。もっと早く人に任せようという気持ちになっていたら、もう少し早く前よりはラクになれていたのかもしれない。
介護について、ネットや本で自分の精神を強くするための情報をずいぶん貪った。そういうなんらかの「答え」や「方法」がなければ、私はつぶれてしまうと思ったからだ。
その結果、ある結論にたどりついた。
それは、「介護は受け流し、淡々と事務的に。そして感情を入れない」
というものだった。
これがおそらく正解だと確信する。
なぜなら、つらさのどん底にいた私はこの真逆だったからだ。
この真逆だったから、血が出るような痛みを感じる毎日だったのだ。
もちろん、介護の奥義に自分なりにたどり着けたからといって、
すぐにラクになるわけではない。
知ることと実践することの間には大きな川が流れている。
実行するのは難しい。
ヘルパーさんは、仕事だから、他人だから感情抜きで接することができる。
でも、家族にはその感情抜きというのが一番難しい。
それには悲しさというものが基本にあると思う。
自分を育ててれた親がこんな姿になってしまったという気持ち。
愛情をかけて育ててくれるほど、優しくいい親だったと思えるほど、
悲しみも深い。
感情的にならないというのが一番私には難しいことだ。
それは、母が十分慈しんで、大切に、優しく育ててくれた証なのだろう。
そう思うと、涙がとまらない。
感謝しかないのに。
でも、優しくなれない自分。
今は、月に一度ショートステイに1週間行ってもらっている。
それで、自分の精神をなんとか保っているといっていい。
現在、ショートステイに行ってもらっているので、そのときはただひたすら「解放」に浸る。
人に預けれらることの解放感は、ものすごいものがある。
これも、今後もあまり感じる類のものではないだろう。
ショートステイに送りだすと、自分がどれだけプレッシャーを感じているかもわかる。
人一人の命を預かっているのは私なのだ、責任は私にあるのだ。
どこかにあまりにも大きな重しのようなものがのしかかっている。
でも、たどり着いた奥義は、それは感じてはいけない、思ってもいけない感情なのだと教えてくれた。
あくまで受け流し、事務的に淡々と行うのだ。
そして、感情は入れてはいけないのだ。
やはりなかなかそれは難しいと思わざるを得ない。
こうして介護はつづいていく、、、。