アダージョ原田のつぶやきのこ -2ページ目

アダージョ原田のつぶやきのこ

街や人、店を通して見えてくる世の中。
つれづれなるままの日々雑記です。

4年近くなろうとする介護のなかで、何度となく繰り返しやってくる虚無感。

もうダメだ。もう限界だ。何度思ってきたことだろう。

 

100回はとうに超えているだろう。1000回はいっているかもしれない。

 

悩むのも考えるのもやめているつもりだが、また虚しさが襲ってくるタームがきたようだ。

 

私はいったい何のために生きているんだろう。

仕事も自分の生活も犠牲にして、いったい何をしているんだろう。

 

何のために生きているのかが今わからない。

自分のために生きている実感がない。

 

まともな会話がほぼ不可能な母は、毎日意味不明な言葉を投げかけてくる。

 

私が同じ空間にいると、私の一挙手一投足をじーーーっと見て、

「それは何?」「何を買ってきたの?」

と質問をし続ける。

 

本当に「放っておいてくれ!! 黙れ!!」と声を荒げたくなる。

 

私がちょっとでも動けば、何をするのかずっと視線で追い続ける。

そして、意味不明な言葉を投げかけ、意味不明な質問をしてくる。

 

気が狂いそうになる。いや狂う。

 

同じ空間にいることが恐怖でしかない。

 

口を開けば、昔のことばかり。

もう亡くなった親戚の名前、友人の名前、その人たちのことを壊れたテープレコーダーのように話しつづける。

 

あー、この人は本当に自分というものがないんだなとよく思う。

いったい何に興味があったんだろう。

 

当たり前だが、私はこの人のために生きているのではない。

自分のために生きているのだ。

 

それがもう4年も自分のために生きていると実感したことがほぼない。

 

当たり前だ。

 

この人は水1杯自分でくめないのだから。

ティッシュ1枚自分で取ることもできないのだから。

 

文句を言っても仕方ない。自分がやると決めたことだから。

でもつらい。つらくて仕方ない。つらすぎて、どうこのつらさを表現していいのかもわからない。

 

介護について、不感症になろう、何も感じないようにしようと思った。決意した。

愚痴は言わないようにしようと誓ってもいる。

 

でも、どうしようもない気持ちになってしまう周期のようなものがある。

 

そうなってしまったら、、、

母と同じ空間にいることを拒否して、逃げるしかない。

それが唯一できる方法だ。

母の視界に私を入れないことが唯一の逃げる方法なのだ。

 

問題は、そして最大の課題であり目標は、いつまで続くかわからない介護のなかで、自分の人生を生きることだ。

それが絶対に私が今後しなければならないことだと思う。

 

そうでないと、本当に本当に今度こそ私がつぶれる。

無為すぎるのだ。

 

手続きと、手はずと、買い物と、連絡と準備と用意と段取りと、なくなったものをチェックして補充することと、、、

こんなことに時間をさいて、自分の時間をすり減らし、神経をすり減らす無為な時間だけで

自分の貴重な人生を台無しにしてはいけない。

 

自分の人生を生きなければ、どんどん無意味な何もない空白の時間がただ無為に

つづくだけだ。

 

そう思って、自分のための勉強はできる範囲でしている。

それを本格的に実行に移すのは来年の4月だ。

 

来年の4月。。。まだ半年もある。。。

今の半年は私には途方もなく先の話だ。

 

とにかく毎日をやり過ごしているだけ。

それが私の今の日常だ。

 

あー、今日も一日何もなかった。それが一番の介護の成果であるから。

それをもうこれだけ続けていると、さすがに気がふれてくるだろう。

 

そこには前進も進歩も変化もない。

 

どうやって自分のために生きている実感を少しでも持てばいいのか。

どうしたら、自分のために生きていると思えるのか。

 

母からは逃げ、自分は勉強し続けること。

 

こんな状況でも自分の環境に感謝すること。

こんなサイアクの状況でも、私は午後だけ働けている。

 

自分のこれまでのスキルが生かせる仕事なので、本当に有り難い。

 

それは本当に感謝している。

それはサイアクの中の最高のことだろう。

 

ここで働けていなかったら、私は完全に気がふれていた。

 

自分の人生を生きるんだ。

自分に負けてはいけない。

 

母の介護をするのではなく、

自分の生活を送りながら、母を介護するのだ。

 

そうならなくては、私は生まれてきた意味がない。

そうでないと、もう私は頭がどうにかしてしまう。

 

無為で無駄な時間はこれ以上ごめんだ。