秋月城跡
歴史 編集
1203年(建仁3年)- 秋月種雄が古処山城(秋月城)を築城。
戦国時代 - 秋月氏16代秋月種実の時代、大友宗麟に何度か攻められるも、毛利元就の援軍もあり撃退、秋月氏は最盛期を迎える。
1587年(天正15年)- 九州征伐に乗り出した豊臣秀吉に敗れ、秋月氏は日向国高鍋に移封される。これにより、古処山城(秋月城)と秋月氏宅所は廃城となる。
1624年(寛永元年)- 福岡藩主黒田長政の三男、黒田長興が福岡藩2代忠之より夜須・下座・嘉麻の範囲で5万石を分封され、長興は九州征伐以降に廃城となっていた秋月氏宅所を大幅に改修し、陣屋を置く。以後、黒田氏12代が明治時代まで治める。
1873年(明治6年)- 廃城令によって廃城となり一部を残して撤去される[7]。
1961年(昭和36年)4月18日- 本門(黒門)と長屋門が県指定有形文化財に指定[2]。
1980年(昭和55年)3月1日-「秋月城跡」として県の史跡に指定[1]。
桜の名所秋月城跡
桜は今年も咲くのでしょうが
三密が守れない…
桜道を最後まで行くと水掛け
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