先日、震災に関するドラマを見たら、
どうしてもあの日の新聞を読みたくなりました。
もう4年が経過しているし、果たしてどうかなぁと思ったけれど、
問い合わせをしたら在庫があるとの事で、
早速取り寄せをお願いしました。
本当は、3/11~3/15の分が欲しかったのだけれど、
残念ながら11日は在庫がなかった・・・。
緊急事態で発行部数も少なかったでしょうし、
それは仕方がないかな。
12日は、新潟日報社さんの協力で発行されたそうで、
よく見ると、上の日付の字体が違います。
この日は8ページ。
翌日から、少しずつページ数が増えて行くのを見ると、
だんだんと設備や情報が、整っていったのだろうと想像できます。
12日の『宮城 震度7』って見出し、よく覚えてる!
会社の片付けをして、家に帰る途中、街なかで
何人か読んでいる人を見かけたのだった。
本当は、すごく読んでみたかったのだけど、
“見せてください”とはお願いできなかった、
内気な私・・・。
あの時の状況だったら、みんな快く見せてくれただろうけどね。
改めて新聞を読んでみたら、私の知らない現実がありました。
私は、自分の身の回りの事で精一杯で、
自分の見たものだけが、震災の記憶になっています。
しかし、ちょっと視野を広げると、私の想像を越えるほど、
辛く厳しい現実があったことが分かります。
正しい情報が入らないのは、とても恐ろしいこと。
それを伝えるため、極限の状態でも新聞を発行してくださった、
河北新報社の皆さんには、感謝の気持ちでいっぱいです。
まさか、京都に来て河北新報を手に取るとは思わなかった。
私が問い合わせをしたとき、発送関連で連絡をくださった、
おじちゃんがとても親切で、東北の人の穏やかさに、
心底和みました。
Ayu