東日本大震災から、明後日で4年。
この時期になるとテレビでは、震災関連のことが、
さかんに放送されています。
昨日、『がれきの中の新聞社 河北新報のいちばん長い日』の
ドラマを見ました。
元になった本を持っているので、大体の事は
分かっているつもりでしたが、映像で見ると、
本とは違った気持ちになりました。
あの時私は、職場のあったビルの7階で被災しました。
働いていた会社の本社が関西で、救援物資などの
支援は早かったものの、職場が休みになることはなくて。
(関西からは、状況が見えづらかったから、
仕方がなかったのかも知れません)
取引先は、割と業務を休んでいたのに、
私たちは自分の家の片付けもままならない状況の中、
職場の片付けから通常業務までをこなさなければならず、
なんて鬼のような職場だと思った記憶があります。
起こった事態の深刻さを受け入れるまで時間が掛かり、
感情もおかしくなって、やたらハイテンションだったり、
突然涙が出たり、しばらくは落ち着かない日々でした。
あの時は、自分が一番大変だと思ってしまっていましたが、
冷静になって考えると、新聞社や警察、自衛隊や医療系など、
私なんかよりずっと大変な仕事をこなした人たちが、
大勢いらした事に気付きます。
あの日、停電により全ての情報が遮断され、
また、電気が復旧してからも、当時テレビを持っていなかった私は、
震災の映像をほとんど目にすることがなかったので、
今回このドラマを見て、初めて知ったことも多かったです。
人それぞれ、いろいろな体験があったと思います。
それぞれが、心に刻んだこともあったと思います。
震災から時間が経つにつれ、平穏な日常に慣れてしまうと、
ついあの日思ったことを、忘れてしまいそうになりますが、
あの時嫌と言うほど向き合わざるをえなかった、
命の重みや、自分が生かされたという思いを、
改めて考えなければいけないのかも知れません。
平凡な日常ほど、幸せなものはない。
生きていくのは、苦しいことも多いけれど、
それを経験できるのも、生きているからこそ。
今、自分の側にあるものを大切にしよう。
一日一日を、大切に過ごしていこう。
Ayu
この時期になるとテレビでは、震災関連のことが、
さかんに放送されています。
昨日、『がれきの中の新聞社 河北新報のいちばん長い日』の
ドラマを見ました。
元になった本を持っているので、大体の事は
分かっているつもりでしたが、映像で見ると、
本とは違った気持ちになりました。
あの時私は、職場のあったビルの7階で被災しました。
働いていた会社の本社が関西で、救援物資などの
支援は早かったものの、職場が休みになることはなくて。
(関西からは、状況が見えづらかったから、
仕方がなかったのかも知れません)
取引先は、割と業務を休んでいたのに、
私たちは自分の家の片付けもままならない状況の中、
職場の片付けから通常業務までをこなさなければならず、
なんて鬼のような職場だと思った記憶があります。
起こった事態の深刻さを受け入れるまで時間が掛かり、
感情もおかしくなって、やたらハイテンションだったり、
突然涙が出たり、しばらくは落ち着かない日々でした。
あの時は、自分が一番大変だと思ってしまっていましたが、
冷静になって考えると、新聞社や警察、自衛隊や医療系など、
私なんかよりずっと大変な仕事をこなした人たちが、
大勢いらした事に気付きます。
あの日、停電により全ての情報が遮断され、
また、電気が復旧してからも、当時テレビを持っていなかった私は、
震災の映像をほとんど目にすることがなかったので、
今回このドラマを見て、初めて知ったことも多かったです。
人それぞれ、いろいろな体験があったと思います。
それぞれが、心に刻んだこともあったと思います。
震災から時間が経つにつれ、平穏な日常に慣れてしまうと、
ついあの日思ったことを、忘れてしまいそうになりますが、
あの時嫌と言うほど向き合わざるをえなかった、
命の重みや、自分が生かされたという思いを、
改めて考えなければいけないのかも知れません。
平凡な日常ほど、幸せなものはない。
生きていくのは、苦しいことも多いけれど、
それを経験できるのも、生きているからこそ。
今、自分の側にあるものを大切にしよう。
一日一日を、大切に過ごしていこう。
Ayu