たまたま、私のブログをチェックしてくれた友達から、メールが来ました。
 
”あゆのブログで、気仙沼のことを書いて欲しい。
 そして、ブログを見に来てくれた人が、少しでも気仙沼のことを気に掛けてくれたらな、って思う”
 
って。
 
友達から託されました。
だから、私はそれを伝えるのが役割かなと思いました。
 
-------
イメージ 1イメージ 2
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
何もかもなくなってしまった街で、ぽつりと佇んでいるものが、いくつかありました。
元々そこにあったのか、それとも誰かが置いたのか。
 
ここに暮らしていた方々の、心の美しさを見ているような気持ちになったのですが、
暮らしていた家がなくなってしまった場所でも、、神様を祀っていた祠だけは、
ひっそりと立っていたりしました。
 
神を敬い、大切にする気持ち。
そういう心を持っている人が、大勢いらっしゃるのだと知りました。
 
中学のとき、大好きだった先生がいました。
とても熱い先生で、いつも全力投球。
そして、しつこいくらいに”生きること”について、教育をされました。
 
確か卒業アルバムだったと思うのですが、先生が最後にひと言、
”命を大切にして生きなさい”と書いてくれたことを覚えています。
 
あの頃私はまだ子供で、未来が来るのを当たり前だと思っていました。
私の前には、ずっとずっと長い人生が続いていると思っていました。
だから、その先生の言葉をそれほど深刻に受け止めませんでした。
 
大人になった今、私は先生の言葉が深く胸に刺さっています。
 
気仙沼や南三陸町で見た、人の姿。
笑顔で働く人が、そこには大勢いらっしゃいました。
 
”被災地の為に何か”などというのは、私の思い上がりで、
むしろそこに暮らす方々から、たくさんの元気をもらって帰って来ました。
”今”を一生懸命生きている人は、とても美しい。
だからこそ、頑張っている人たちのことを応援したい。
 
とにかく、不自由なく暮らせる日が、少しでも早く来て欲しい。
私は、心からそう思います。
 
昨日私たちが訪れた、災害対策庁舎のすぐそばにある病院には、
2階部分に船が乗っかったままでした。
その向かいには、私が幼い頃両親によく連れてきてもらった、サンポートが。
1階部分は津波が突き抜けたのでしょう、壁が破られ、中には潰れた車がありました。
 
そして、災害対策庁舎は、いよいよ取り壊しが決定したそうです。
住民から、”あんなもの、早く壊してくれ”という声が上がったそうで・・・。
 
毎日毎日、悲しい記憶を見せられていたら、気持ちが滅入るのも分かります。
あの災害を忘れないように、後世に残した方がいいのでは?というのは、
単なる外部の人間のエゴなのかも知れないですね。
 
あまりに考えることが多く、うまくまとめることが出来ません。
 
繰り返しになってしまうけれど、今、自分に何が出来るのか。
無関心になってしまうのが、一番怖いこと。
ひとりひとりが、ほんの少しずつでも被災地のことを思ったら、
それは大きな力になると思うのです。
 
動きますよ、私。
一生懸命考えますよ。
 
興味本位でもいい、被災地へ足を運ぼう。
たくさん観光することで、そこに暮らす人たちを応援しよう。
それが、”旅人あゆ”らしい、支援の形かも知れません。
 
 
Ayu