昨日の忘年会で、うっかり二次会まで参加してしまった私。
皆さん、かなりお酒が回っており、普段はなかなか話さないような、
本音トークもちらほらと出て来ました。

その中の一人の発言が、ずっとずっと私の心に引っ掛かっています。

”俺はアジアが大っ嫌いだね。行ってみて思うのは、やっぱり貧乏くさい。
 差別的だというのは分かってる。でも、自分よりレベルの低いところへは行きたくない”

どんな話の流れからか忘れてしまいましたが、アジア批判が始まってしまいました。
その人曰く、”やっぱりアメリカかヨーロッパはいい”らしいのです。

ちょうど私の父親と、同じ世代のその人は、これまで経験してきた人生の中で、
アジアに対してそのような結論を出したのでしょう。
価値観は人それぞれ、だから、別に私が過剰に反応して傷つくことはない。
それは、よく分かっているのですが・・・。

自分が大切にしてきたものを、踏みつけられてしまったような気がして、
心がちょっと痛くなりました。

過去何度か、同じようなことを言われたことがあります。
”どうして貧乏人の国に行きたがるのか?”と。

貧しい、って何だろう?
いつも私はそう思います。

例えば私は、ソウルへ行ってもバンコクへ行っても、ホーチミンへ行っても、
そこは都会の街だと感じました。
地方出身の私からしたら、大きなビルがたくさん建っていて、
人はなんとなくせわしなくしていて、話すスピードも速い。
都会だなぁと感じる要素は、たくさんありました。

もちろん、貧富の差や格差は存在します。物乞いもたくさん見ました。
でも、程度の差はあるかもしれませんが、日本にも同じようなことはあるでしょう。

仕方ないじゃない、戦争の時代が長かったから。

私が心の中で思ったこと。
歴史については、詳しく分からない。
けれど、深い深い戦争の傷跡が、まだアジアの各国には残っているような気がして、
仕方がありません。

アジアの人は強くって、ずるくって、本当にたくましい。
その中で、私も何度も悔しい思いをしました。
そのたびに、日本人である自分の弱さを見た気がしました。
”円”を持っている強さを、自分の強さと勘違いしてしまっていました。

アジアでは、人が生きています。
そういう人たちの強さが、私にはとても眩しく見える。
私なんか、簡単に負けてしまいます。

よく分からないけれど、そういう風に思える自分になって良かった。
私も以前は、とても差別的な人間でした。
今は少しずつ、自分なりのものさしで周りを見ることが出来るようになりました。

自分が尊敬できるもの、凄いと思うもの。
ただ純粋に、そういうものを大切にしていければいいのだと思う。

周りの判断が、自分の判断と同じだとは限らない。
”人それぞれですからね”と、笑って相槌を打てた昨日。
少しずつ、私も大人になれた気がします。



Ayu