私は旅から帰ってくると、必ず”旅行記”と称して、自分の旅を振り返るべく、
文章を書くようにしています。
大抵、ルーズリーフ10枚程度にはなるかなぁ・・・。
今ももちろん書いている最中ですが、今回の旅は印象的なことが多すぎて、
なかなか前へ進まないので、忘れてしまわないうちに自分の気持ちをここに
残しておこうと思います。
カンボジア=地雷。
きっと、多くの人が抱いているイメージだと思います。
もちろん私もそうでした。でも、実際地雷の被害ってどんなものなのか、
考えたことは案外ありませんでした。
手や足がなくなってしまう。
そんな漠然としたことしか分かりませんでした。
でも今回行ってみて、地雷の被害者の方に何人も会って、
今さらながら悲惨さを実感した次第です。
遺跡に行くと、あちこちで音楽が聴こえます。
カンボジアの民族音楽なのか、10人くらいの人たちが、楽器を演奏していました。
私は民族音楽に興味があるので、立ち止まって聴いていると、ちょっと様子が違う。
よく見ると、みんな足がない、手がない、目が見えない・・・。
そんな人たちばかりです。
その人たちの前には、義足が置かれていました。
夕日を見に行こうとして、夕日スポットへ移動する途中、
山道を登っていたら、何かを言いながら座っている人がいました。
その人も手が無くて、失明をした物乞いでした。
友達と市場でお土産を物色していたら、隣に男の人が2人来て、
友達の肩を叩きました。
物売りだったら反撃しようと思って、私もそちらを見た瞬間、思わず絶句してしまいました。
そのうち一人の顔半分が、原型をとどめないほどにぐちゃぐちゃになっていました。
レストランで食事をしたあと、外に出るとお店の前で男の人に呼び止められました。
振り返ると、両手両足のない人が座っていました。
この人は、どうやってここまで来たんだろう・・・?
勇気のない私は、その場を立ち去ることしか出来ませんでした。
また別なお寺では、地雷で親を亡くした子供たちが募金活動をしており、
お店にいれば小さな子供が合掌しながら物乞いに来る・・・。
これが現実なんですね。
私は、どうしたらいいのか全く分かりませんでした。
みんな、お金が欲しいのです。
みんなに平等にあげられればいいけれど、そんなことは到底無理。
じゃ、お金がないからあげられないと言う?
外国から来て、好き放題振舞って、毎日きちんと洗濯をした服を着ている私に、
お金がないと言う資格は無い!
それだけは、絶対に言ってはいけないことだと思いました。
また、観光の合間に行ったレストランで。
同じ観光バスに、あちこちから来たお客さんが混乗します。
初対面の人たちと、食事をシェアして食べなければいけません。
多くの日本人は、そういうことが苦手だと思います。私もそうです。
だから、みんなが遠慮しているうちに、たくさんの料理が残ってしまいました。
ウエイターさんが来て、
”料理、おいしくなかったですか?”
と、片言の日本語で聞かれました。
あちこちで見た光景が、頭の中で浮かんでは消えていきます。
何度も何度も・・・。
あの時私は、どうすればよかったのだろう?
分からないことがたくさんあります。
私はたまたまこの恵まれた日本に生まれただけ。紙一重で、自分が物乞いをする
立場だったかも知れない。
帰国して、間もなく1週間経ちますが、全く気持ちの整理が出来ないのです。
旅はとっても楽しかった。カンボジアも好きになりました。
でも、それは自分が日本人だからでしょ!って、そう思うのです。
笑顔の素敵な人にたくさん出会いました。
私には真似出来ないような、満面の笑み。
過酷な状況にありながら、どうしてそんな笑顔をすることが出来る?
私には分かりません。
カンボジアで見て、感じたことは、これからもずっと私の中から消えることはないでしょう。
これからも私はアジアを目指します。
その時は、自分が住んでいる人たちの日常にお邪魔しているのだということを
忘れないようにしたい。
周りに気を配れる、旅行者になりたいです。
Ayu
文章を書くようにしています。
大抵、ルーズリーフ10枚程度にはなるかなぁ・・・。
今ももちろん書いている最中ですが、今回の旅は印象的なことが多すぎて、
なかなか前へ進まないので、忘れてしまわないうちに自分の気持ちをここに
残しておこうと思います。
カンボジア=地雷。
きっと、多くの人が抱いているイメージだと思います。
もちろん私もそうでした。でも、実際地雷の被害ってどんなものなのか、
考えたことは案外ありませんでした。
手や足がなくなってしまう。
そんな漠然としたことしか分かりませんでした。
でも今回行ってみて、地雷の被害者の方に何人も会って、
今さらながら悲惨さを実感した次第です。
遺跡に行くと、あちこちで音楽が聴こえます。
カンボジアの民族音楽なのか、10人くらいの人たちが、楽器を演奏していました。
私は民族音楽に興味があるので、立ち止まって聴いていると、ちょっと様子が違う。
よく見ると、みんな足がない、手がない、目が見えない・・・。
そんな人たちばかりです。
その人たちの前には、義足が置かれていました。
夕日を見に行こうとして、夕日スポットへ移動する途中、
山道を登っていたら、何かを言いながら座っている人がいました。
その人も手が無くて、失明をした物乞いでした。
友達と市場でお土産を物色していたら、隣に男の人が2人来て、
友達の肩を叩きました。
物売りだったら反撃しようと思って、私もそちらを見た瞬間、思わず絶句してしまいました。
そのうち一人の顔半分が、原型をとどめないほどにぐちゃぐちゃになっていました。
レストランで食事をしたあと、外に出るとお店の前で男の人に呼び止められました。
振り返ると、両手両足のない人が座っていました。
この人は、どうやってここまで来たんだろう・・・?
勇気のない私は、その場を立ち去ることしか出来ませんでした。
また別なお寺では、地雷で親を亡くした子供たちが募金活動をしており、
お店にいれば小さな子供が合掌しながら物乞いに来る・・・。
これが現実なんですね。
私は、どうしたらいいのか全く分かりませんでした。
みんな、お金が欲しいのです。
みんなに平等にあげられればいいけれど、そんなことは到底無理。
じゃ、お金がないからあげられないと言う?
外国から来て、好き放題振舞って、毎日きちんと洗濯をした服を着ている私に、
お金がないと言う資格は無い!
それだけは、絶対に言ってはいけないことだと思いました。
また、観光の合間に行ったレストランで。
同じ観光バスに、あちこちから来たお客さんが混乗します。
初対面の人たちと、食事をシェアして食べなければいけません。
多くの日本人は、そういうことが苦手だと思います。私もそうです。
だから、みんなが遠慮しているうちに、たくさんの料理が残ってしまいました。
ウエイターさんが来て、
”料理、おいしくなかったですか?”
と、片言の日本語で聞かれました。
あちこちで見た光景が、頭の中で浮かんでは消えていきます。
何度も何度も・・・。
あの時私は、どうすればよかったのだろう?
分からないことがたくさんあります。
私はたまたまこの恵まれた日本に生まれただけ。紙一重で、自分が物乞いをする
立場だったかも知れない。
帰国して、間もなく1週間経ちますが、全く気持ちの整理が出来ないのです。
旅はとっても楽しかった。カンボジアも好きになりました。
でも、それは自分が日本人だからでしょ!って、そう思うのです。
笑顔の素敵な人にたくさん出会いました。
私には真似出来ないような、満面の笑み。
過酷な状況にありながら、どうしてそんな笑顔をすることが出来る?
私には分かりません。
カンボジアで見て、感じたことは、これからもずっと私の中から消えることはないでしょう。
これからも私はアジアを目指します。
その時は、自分が住んでいる人たちの日常にお邪魔しているのだということを
忘れないようにしたい。
周りに気を配れる、旅行者になりたいです。
Ayu