おはようございます。あゆかです。
離婚している為、面会交流に応じています。

昨日は、その日でした。

月1回の予定が、こちらの都合や、子どもの体調で、したり、しなかったり。


4月から、小学校(染色体異常があり、重い知的障がいがあります)入学予定の子ども。


子どもの入学式に出ていいか、という夫。

断りました。

夫に、依存していた頃、子どもの成長だけは、2人で見守っていきたい、喜びを分かちあいたい、なんて、最もらしい、言い訳をして、彼をつなぎ止めようとしました。
今、思えば、バカだったな…と思います。

私も、元夫も、自己中心的でした、、子どものことなんて少しも考えていなかった。


離婚は、私が悪いで片付けていました。

元夫にも、悪い所がありました。

元夫も、親の愛情を受けずに、育ったのでした。


離婚したから、不幸になったわけではない。
不幸な人が離婚しただけ。 加藤諦三

お互い、5歳児の大人。母親の愛情を求めていた、ただ、それだけのことです。

その間に生まれた、子どもにとって、これほど、悲劇なことはありません。子どもが子どもを育てている。(離婚を正当化するわけではありませんが…。)

一番は、仲のよい親の元に生まれることです。

母親の愛情に、恵まれなかった人は、生涯、母の愛情を求め続ける。不幸な人と不幸な人が、結びついてしまう時、それが悲劇なのです。



「離さないって決めたから、守りたいって言ったのさ。ホンモノの強さだけみつけたくて。今、未練なんか、これっぽっちもない。」 合ってますか!?ダイスさんのシトラスという歌詞がしっくりきました。


私は、私と子どもの生活を守ります。そして、子どもの為に成長し、子どもの力になりたい。不幸は、連鎖します。このままでは、私の子どもも、愛情を、求め、さまよう。(知的な障がいが重いため、どこまで理解できているかわかりませんが、愛情不足のサインは出しています…)

不幸、依存を断ち切り、前へ。

だから、私も心を成長させていきたい。

今日は、職業評価に、行ってきますニコニコ

※最後まで、読んで頂き、ありがとうございました。