こんにちは😊
私は大1で現在マレーシアに住んでいるのですが、実はマレーシア歴もう7年。
マレーシアには小学5年生になると同時に来ました
小学5年生というと11歳、ある日親から言われた
『マレーシアに引っ越すよ』
と言う言葉に驚きと混乱は隠せませんでした
まず1番最初に頭に浮かんだのは『マレーシアってどこ...』でした。
なぜならこの時初めてマレーシアって国の名前を知ったからです 笑
あんまり当時の気持ちははっきりと覚えてませんが、引っ越しには慣れていたためそこまで抵抗はしてませんでした。
ですがやっぱり友達と親戚と違う場所ならまだしも違う『国』に住むってなると寂しさは相当でした
あと、学校で友達に『海外に行くの!?』ってずっと聞かれた事を覚えています
マレーシアに行くって決まってから、英語の勉強が始まりました。
元々3歳から英語を習っていたのでアルファベットとか簡単な会話はできたのですが、
海外に住むってなると話は違って週何回も放課後英会話教室に通いアメリカ出身の先生と会話して授業を受けると言うのが習慣でした。
学校から帰ってきて意味のわからない言語を学ぶ時間は楽しくてもやっぱり苦痛で
『英語行きたくないー』って泣き叫んで親にお菓子で釣られ渋々行ってたのを今でも覚えています
(英会話教室の前にコンビニで買うお菓子はなんか特別感があったんだよな~笑)
英会話教室では次の学校で役立つ英単語や英文を学びました。
例えば『How old are you?』『What's grade are you in?』(訳:何歳ですか?、何年生ですか?)
今思えばめっちゃ簡単で単純だけど小4、しかも学校の後に覚えるのは地獄
先生が楽しくて面白い先生だったからまだもったなって感じです笑
(忍者が好きでにんじゃりばんばん踊りながら歌ってたあの時の男の先生、元気ですか? 🤣)
この時はこの英語を覚えたら友達とお話しできて少しは楽になる頑張ろうって呑気に思っていました
この後待ち受ける試練の数々も知らずに...
マレーシアに引っ越して数日後、私は学校(アメリカンスクール)に入学するためのテストを受けに行きました。
この時に受けたテストは多分MAP Testと言うテストか似たテストだった記憶が...
とりあえず英語と算数力を測るためのテストでした
まぁ、英会話教室で週に何回か習ってただけの英語力
あの時どんだけ努力してもやっぱり長い英文を理解できるわけもなく、選択式の問題だったので適当に答えました笑
元々この学校は予約がいっぱいだったため待つのが決まっていたのでしょうがないねって感じでしたが
次の日、学校からいきなりメールが届き、今すぐ来てくださいとの事。
急いで行ったらそこにはELL(English Language Learner/英語学習者)の先生が。
私1人だけ教室に呼び込み質問をされました
『Would you rather a Japanese teacher or an English teacher?』
この時はJapaneseとEnglish、teacherが聞き取り理解できたので、
『Um... Japanese ok! English ok!』とカタコト英語で明るく返したのを覚えていいます
そうしたら先生から親に話が行き、なんと入学が決まりました
全く受かった理由がわからなかったけどとりあえずラッキーという形で入学
(後々知った理由は受験当日に校長先生にHow are you? と聞かれた私がルンルンでI'm wonderful!って答えた事だったらしいです笑 Wonderfulって言葉を知ったのはその時に好きだった関ジャニ∞のWonderful Worldのおかげだったので感謝笑)
学校に入れたのは良かったものの、同級生の生徒はほとんど外国人。
先生も勿論英語しか話さないので学校に行っても何も理解できない事が当たり前でした
『日本に帰りたい!!』『英語嫌だ!!』と泣き叫び親を毎日困らせていました。
時には『なんで海外なんかに連れてきたの!? 最低!!』など親に叫び怒っていました。
この時はまだ小学生で子供、到底親が英語喋れるようになって欲しいと言う考えが理解できませんでした。
(今となっては本当に英語を学べて話せるようになって、他の国の文化を学べる環境に住ませてくれた親には感謝しかありません)
後、学校ではMac (PC)を使うのが当たり前だったため、パソコンの使い方も勉強しないと...
とりあえず小学生だった私は頑張って自分の知恵を働かせ学校に行く時は電子辞書とメモ帳を持って、
わからない単語が勉強中に出たらメモして覚えるわかりにくかったらパソコンで時間がある時に調べると
自分なりの勉強法を考え頑張っていました
(よく頑張った、当時の自分)
最初は嫌で嫌でしょうがなかった英語も、少し経てば慣れてきて
だんだん友達や先生の言ってる事が分かり始めた時の喜びは今でも覚えてます
学校の勉強も段々楽になっていき、今では中国語を学び簡単な会話はできるほどに成長
パソコンのタイピングのスピードもよく早い!!と驚かれるようになった
今でも日本に帰りたい気持ちは山々だけど、
マレーシアと言う多文化の国に小さい時から住まわせてくれた親には本当に感謝しています✨
話す言語が違っても、考え方が違っても、生まれた場所が違っても
仲良くなろうとすれば仲良くなれて友達になれる。
言語や文化が違うだけで友達になる事を諦めない力も生まれ、今では大切な友達が色々な国にいます
本当にマレーシアに住めて、マレーシアで学べて良かった。
今では心の底からそう思っています
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