高速道路、休日上限1000円が19日で廃止されますね・・・
 
廃止前に遠出してきました車DASH!
 
行き先は「福井県」で、まずは「柴田神社」に向かいました
 

柴田神社とは?


福井県福井市にある神社である。戦国時代の武将・柴田勝家を主祭神とし
 
妻の市を配祀する。境内には、市の三人の娘を祀る三姉妹神社がある。
 
鎮座地は勝家の居城であった北ノ庄城の本丸跡地と伝えられており
 
作られた時代は不明であるが勝家・市を祀る石祠があり
 
北ノ庄城の跡に築かれた福井城内の神祠として保護されてきた。
 
明治23年(1890年)、旧福井藩主松平春嶽、旧藩士、住民らの発意により小祠のある場所に神社が作られ
 
「柴田神社」とした。その後、大火や戦火、福井地震により社殿を焼失し
 
そのたびに氏子によって再建された。
 
平成10年より、老朽化した社殿および境内社・稲荷神社が建て替えが行われ
 
新たに境内社・三姉妹神社が作られた。それにあわせて福井市による境内の発掘調査が行われ
 
北ノ庄城の石垣の一部が発掘されて、この地が伝承通り北ノ庄城の跡地であることが判明した。
 

境内は北ノ庄城址公園として整備され、発掘された石垣が展示されている。


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鳥居と境内社・稲荷神社ですダウン
 
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境内にあるお市の方の銅像ですダウン
 
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三姉妹(茶々・初・江)の銅像ですダウン
 
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柴田神社の説明文内でもあったように
 
柴田神社は「北ノ庄城」の跡地でもあります
 
北ノ庄城とは?


朝倉氏の滅亡後、越前を支配していた一向一揆を平定した功績によって
 
越前国北ノ庄を与えられた柴田勝家が、天正3年(1575年)に自らの縄張りによって築城を開始する。
 
同11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いに勝家が敗れ、妻お市と共に自害すると城にも火が放たれ
 
建造物のほぼ全てが焼失することになるが
 
その後も青木一矩が北ノ庄城に封じられたという記録が残っている。
 
城は足羽川と吉野川(のちの百間堀)が合流した位置に築かれ
 
堀の一部に足羽川を使用していたと推定されており、天守は7層(一説には9層)構造で
 
安土城に匹敵する巨城であったと伝えられている。
 
1601年より柴田氏の北ノ庄城の跡地に、新たに結城氏によって北ノ庄城(福井城)が築城された。


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石垣ですダウン
 
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この石垣は本来、高く積まれていたが、江戸時代、結城秀康の福井城築城に際し取り除かれ
 
石垣の根石のみが残った状態であると考えられます。
 
石垣の前面には、堀が広がっていました。
 
堀跡ですダウン
 
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発掘調査で確認された、福井城下層(1600年以前)の東西方向の幅が25m以上ある南北に延びる堀跡です。
 
露出展示している石列は堀南面の石垣です。
 
柴田勝家の銅像ですダウン
 
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北ノ庄城址(柴田神社)を後にして
 
次は「福井城」へ向かいます
 
 ●○その②に続きます●○
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