たとえば、聖なるラマダン月に良い習慣を身につけよう  ということなのだろうけれど。

日本で生まれ、日本で育った子供たちは成長し、
幼いころから頑張って励んだ断食も、
仕事やもろもろを理由にして、サボる日が多くなった。


前述のイフタール会。
たくさんの食事を前に、ぐだぐだと誰の声かけもなく、時計を気にせずに、
目の前に並ぶご馳走をばらばらに食べ始めるパキスタン女性たち。

”え?もう食べていいの?”と辺りの様子をきょろきょろ伺う私たちは、なんとなく、かの女性たちよりも敬虔のように感じちゃったりする。


純潔パキスタンの子供たちは驚いた。
どう見ても、イスラム的服装をしていない娘たちの方が、低年齢から断食をはじめたことに。

そして娘たちも驚いた。
ばりばりイスラムっぽい友達たちが、同じ年の頃、日曜日にしか断食していなかったことに。


敬虔さや、神様への愛はそんなことでは比べられないし、比べる必要もないことは当然で。


子供に恵まれない夫婦に賞品として渡す赤ちゃんを
自分たちの主張を正当化する都合上、
ゴミ捨て場に捨ててあったと公言をするデリカシーのなさ。
子供に恵まれないから・・・と娶った第2夫人の赤ちゃんを、
妻に、「あなたの子供だよ」と祝福を強要するようなそれは、

良し悪しではなく、
一生をもっても、消えない嫌悪なのかもしれない。


夫の電話はパキスタンの貧しい親戚で、
日本への入国のための偽造書類作成への指示で声がいっそう大きくなった。