夫が長年にわたり親しくお付き合いをしていた方が亡くなりました。
お通夜にひさびさに会う懐かしい面々をみつけては、
”社長は外国人のボクを差別せずに面倒をみてくれました”
と挨拶をしていました。

帰りの車中。
社長はとてもいい人だった。
でも、イスラム教徒にならなかった。
だから、社長が天国に逝けるように、神様にお願いすることすらもできない。

イスラム教徒は
地獄で罰を受けたとしても、
最後には必ず天国に逝けるのだと。

だから、イスラム教徒ではない人がかわいそうだ と。

他人の境界にずけずけ入り込んで、
上から目線な、
盲信しているけれど・・・夫の優しさでした。




健(たける)さんの最初の手紙には
猛烈な反省と苦悩と後悔で埋め尽くされていました。

次の手紙には
妻と家族を、人生を賭けて守りきれると
信じて疑わなかったその過信の後悔が書かれていました。
優しさゆえに起こしてしまった犯罪でした・・・と。



慈悲深いと形容される神様は、どのような判断をされるのでしょう。
私はこの断食月に、
自分の天国逝きではなく、
彼ら3人の減刑を願います。



3人の方々は元気にしています。
応援してくださる皆さまに ありがとうございます  と
伝言を頂いています。
 
彼らへ伝えたいことがありましたら、
コメント、メッセージ、メール(muuzai@yahoo.co.jp)にてお願いいたします。


以下は健さんの最初の手紙への私からのお返事です。


お返事ありがとうございました。

とても考えさせられました。
でも、それ以外に方法はあったのでしょうか?
行政も警察も完全に皆様の現在と未来を救えたのでしょうか?
DV被害にあっている方々と接していて、
不良パキスタン人と関わってしまった方たちとやり取りをして感じました。
たとえ一時的な安堵はあったとしても、それは未来にわたって
日常の生活を取り戻せるものにはならなかったでしょう・・・と。

殺してはいけない理由があるとすれば、
自分のため。自分の家族のため。
自分を大切に想っていてくれる人のためだとも思いました。

犠牲者が妹さんから皆様に変わってしまったのですが、
その代償も私の想像もつかないくらいとても大きいことでしょう。
それでも未来永劫に渡る、恐怖を断ち切れたことは大きいと思います。
 
部外者が想像の範囲で感じました。
健さんの優しさゆえに、
救われた人がいらっしゃって、
その人たちの未来までも、
得体の知れない恐怖から救い出してくれたのだと。

(3人の方々には過去記事、それでも殺してはいけないのですね? 群馬高崎殺人事件について
の記事とコメントすべてを送付しています)