イスラム教では道徳と信仰は一致しないそうだ。
極端な話、
道徳を守るけれど神さまを信じない人
と
道徳は守らないけれど神さまを信じる人
では
神さまは後者を選ぶんだって。
それが前提になっているらしい。
支持する人が大勢いるらしい。
でも、それを正しいと決め付けられる根拠はなんだろう。
ただの妄信ではないのかな。
だって、神さまがからんでくる話なんだから。
人間ごときにわかるはずないじゃん。
そうであってほしいと願うイスラム教徒の思惑ってこともあるんじゃない?
そんな都合の良い思惑がイスラム教徒の根底にあるから、
悪巧みを神さまに祈ったり、
真面目な人間を馬鹿呼ばわりしたり、
イスラム教徒以外をさげすんだり、
迎合することなく、反省することなく、
自分を主張しすぎちゃうっていうのは
大迷惑なんですけど。
人間の英知の及ばない
一発逆転、起死回生を願うのは自由だけれど、
はじめから一発逆転、起死回生を狙っているのって、どうなのよ。
心根が汚くない?あ、心根とか関係ないんだっけ?
そしてイスラム教は巧妙だとも思うんだ。
豚肉を食べることで罪悪感を募らせたり、
礼拝をしないことで罪悪感を募らせたり、
断食をしないことで罪悪感を募らせる。
豚肉 を なくすことで
食事 を なくすことで、
日常 を なくすことで、
連帯を感じさせる。
今、叶わない願いは死後にかなえられるのだと。
フォローも忘れない。
堕胎を禁止し、イスラム教徒から生まれた子供は、
イスラム教徒になり、
イスラム教徒が棄教することに死に匹敵する恐怖を植えつける。
だからイスラム教徒は無法者、不道徳者の集まりになりやすく、
そして減らない。
法務省も外務省も入管も
他国が入国拒否するような素行不良の外国人に対しても、
日本の門戸を広げていることが
とても悔しい。