パキスタンで娘を育てるということは、

 悪あがきをしない人間を作る

という意味があるのかもしれない。


パキスタン以外の世界で育ったとしても、

その嫁ぎ先がパキスタンである可能性が高いのだとしたら、

自由に慣れ親しんだ娘達の苦痛の度合いは、きっと高い。



パキスタンで育った少女を見たときに、

この子たちには、あてがわれた結婚も受け入れられる

あきらめの良さがあるのだろうな・・とふと感じた。


インシャッラー


ちっぽけな脳みそでこねくり回したって、

回避できない大きな流れだからこそ、

一か八かの結婚に、躊躇なく飛び込める強さがあるみたい。

キレイな衣装を着て、豪華な食事をして、注目を浴びる花嫁を演じられるのなら、

ためらいなんて感じないであろう女たちに

これまた、ちっぽけな脳みそで危惧しうろたえ軽蔑の視線をおくるのは私。



今風の働かない遊び人の義理の弟だって、

両親の勧める結婚を、きっと断らない。




断食が無効になるかならないか・・・

歯に詰まった 食べ物カスの大きさが、米粒よりも大きいか否かが問題になる世界。

(タアリームル イスラームより)


質疑応答の数々に

ちっぽけな脳みそで考えることを(感じることを)拒否することによって

生じる滑稽がそこにはある。



ちっぽけな脳みそだけど・・・