ビデオの中の私は、

私が知らないうちに年をとっていた。

ビデオカメラを持っていないから、

動いている自分を客観的に見ることなんてここ最近はなかったし。


日頃目にする私は、

四角い枠に収まった、ちょっとかしこまった自分だったから。


斜め後ろから見た頬は、

娘に指摘されたように、くやしいけれど垂れ下がっていたのだった。




たとえば二枚のカードがあって、

選べるカードは一枚だけ。

どちらも選びたくないカードなのだけれど、

どういうわけか、

選ばないという行為の代償が、子供と離れ離れになってしまうのではないのか・・・と

危惧するから、やっぱり選ばなければいけないのかもしれない。


たとえば一枚は

パキスタンで生活をする。

もう一枚は、

パキスタンに住まない代わりに、夫の重婚を認める。


選ぶという自由意志に伴って生じる責任。


選んではみたもののけっこうきつかったりする。


選んだのは私なのだから、


それなりに努力なんてしたりする。


自分の選択が正しかったのように、

振る舞ったりする。

自分に対して、他人に対して。


子供をあの国に置いてきた時に、

周囲の人に私は言ったよ。

自分に言ったよ。

「語学の勉強になるから」って。






ある人は、

重婚は美味しい一切れのケーキを独り占めするのではなく、

分け合うようなもの・・・だと表現した。


美味しいケーキだなんて・・・

私には ”夫=美味しいケーキ” だなんて思えない。


違和感を覚える私に

親友は電話口で言い切った。

毒まんじゅう・・・だよ・・・ね?




これから結婚する人には微力ながらアドバイスができるかもしれないけれど、

自分のこととなると先のことなど何もわからない私は、

毒まんじゅうだよね~!と快活に笑って憂さを晴らした。



PCがかなりひどい状態で、更新できないので、ネットカフェにて更新しています。