数年前、高齢の祖母は大きな手術をしたことがあった。

もう身体が持たないかもしれない と言われていた祖母を見舞った私たち。


夫はベッドの横にかがんで、祖母の耳元でそれを伝えた。

”おばあちゃん、これを言ったら、神様が守ってくれるよ”

夫の導きに祖母は唱えた。

”ラー イラハー イッラッラー ムハンマド ラスールーッラー”

(神はひとつ。モハンマドは神の預言者です)

私は夫に言われ、その言葉を、メモ用紙に書き留めた。

 ”おばあちゃん、痛いときにはこれを読んでね”


枕もとに置かれた、おまじないのような言葉が、

孫婿にとっての祖母に対する、精一杯の願いであることは、

彼女が一番よく知っていたから。



父親の最後の入院の時もそうだった。

まだまだ元気な父親は無宗教の人だった。

それでも夫に言われたように、

父は唱えた。意味もわからずに。


私は目の奥の方を熱くして、涙を流すのをこらえてた。

”神様が守ってくれるから、大丈夫”って。




何もわからなくってもいいから・・・・と夫に言われ、

イスラム教徒になって、結婚をして・・・

やらなきゃいけないことと

やってはいけないことと に困惑して・・・

それだけでも大変だったのに、

身近な人にイスラムの教えを広めないということは、

(その人がイスラム教徒になるとかならないとかは関係がないけれど)

とても悪いことだと言われても

・・・それじゃあ、まるで不幸の手紙じゃん・・・

プレッシャーを感じながらも

私は両親や兄弟にイスラム教について話すことに戸惑った。

いやいやながら、両親宅に、過激でないイスラム雑誌を置いてきたりしたけれど、

読んだかどうかは定かではないし、

イスラム教徒になった私を見て、イスラム教を悟って欲しいと思ったけれど、

輝かしいオーラを発散することもなく・・・

私は相変わらずの彼らの娘でしかなかったし。



ラー イラハー イッラッラホー

意味のわからない彼らにはおまじないの言葉でしかないけれど、

それはイスラム教徒なりの愛のこもった言葉であることを、

彼らが感じてくれればいい。




ここ数年は祖母は寝たきりで入院中だから、

せめて窓の外の桜を楽しめればいいのだけれど。



父親の墓参りにも久しぶりに行ってこよう。

そして母に回転寿司をおごってもらおう。


あたたかい風が心地良いから。