国際結婚と全然関係ない話。
今までの重苦しい話題とはうって変わった、キセキの話。
時は3人目の子供がまだ赤ちゃんだったころ。
今は離婚をされて、夫がパキスタン人の新しい奥さんをもらっちゃったんだけれど、
まだそんな兆候はどこにもなくて、
むしろ几帳面な日本人の奥様が、ご主人のトイレの電気の切り忘れにも、しっかりお小言を言えるような力関係にあったご家庭に、夕食を招待された時のこと。
出された食事は春巻きとご飯とお味噌汁だった。
赤ちゃんを抱きかかえながら、食事をとる私を襲った大災難は、
差し歯の前歯がポロリと落ちたことだった。
げ・・・・
夫の表現を借りればそれは”お前の顔が恥のあまりクチュッと小さくなった”ということも当たりだけれど、
そんな私の状況がどうのこうのというのはどうでもいいことで、
顔がほてりながらも、口の中で春巻きと共に混じりこんだ差し歯を、
”何が何でも飲み込んではいけないということ”は、
動揺しながらも冷静に対処しなければならない重大使命だった。
うう・・・・
赤ちゃんが邪魔・・・
両手を使いたい・・・
幸い誰も、この私の大混乱の刹那を見ていないらしい・・・・・とあたりに目をこらす。
ふと感じる視線。
だって・・・私の赤ちゃんがすっごい顔して私を見つめてる。
どうして・・・・どうして・・・・歯がないの???
彼は目だけではなく顔いっぱいで、その驚きを表現している。
この子がまだ、言葉を話せなかったのは、今思えば第一のキセキだったのかもしれない。
とにかく、赤ちゃんを置き、もにょもにょと怪しい言葉を口から吐き出しながら、
トイレに立った。
夫は一瞬怪しむ視線を送ったよ。
だって、一度パキスタンでも同じ失態をしたことがあるから・・・・
とりあえず、私はトイレの中で、口の中にあった差し歯をとり、はめた。
でもね・・・・
上の前歯なのよ。
重力ってあるじゃない?
押し込んだくらいじゃ・・・・全然安心なんかできないの・・・
何を念じたかおぼえてもいないけれど、ぎゅっと押さえつけていたよ。
ずっと食事中にトイレから戻らないなんて、かなり怪しいわけだから、
意を決して、部屋にもどったんだけれどね、
赤ちゃんは何かを訴えたくても、こんどは歯がついてるから、
ますます理解不能の世界になっちゃったらしいんだけれど、
この際、口の利けない赤ちゃんはほって置いて、
冷静にこの食事会を乗り切らないけないということが頭に渦巻いて、
味も会話もなんだかぶっとんじゃったんだけれど・・・
悪魔はいたの。
お茶までいただいての帰り道。
”駐車場まで送るよ”という若夫婦と共に、家を出た路上で、
気を許した私は、ふとした会話に笑ってしまった。
噴出した私の笑いと共に飛んだのは私の差し歯。
路上に落ちる音を私はたしかに聞いたの。
ああ・・・・
このままここを過ぎ去るわけには行かないの・・・
真っ暗な路上に電灯がぽつんとある場所で、私は立ち止まるための口実を考えた。
口元が誰にも見えてはいけないから・・・・
うつむきながら・・・”何か落ちたみたい”
”え?”大人三人が私に聞く。
そして、路上を歩く2人のおさなご。彼らは一番路上に近い視線をもっている。マズイじゃん。
”何かわからないんだけれど・・・落ちたみたい・・・”
とのんびり口調でいいながらも、
私の目は必死に路上をくまなく探していた。
彼らに見つかっては・・・いけない!!!
5人の目対私の目
これは新たに課せられた重大使命だった。
そして、これは第二のキセキ。
誰にも気つかれることなく、私は自分の差し歯を手に入れたのだった。
そして、そして、第三のキセキがそれと同時に起こったのでした。
だって・・・差し歯の落ちていた場所のすぐ近くにあったものは、
カラチの夫の両親が孫にプレゼントをしてくれた、
イニシャルをデザインした金のネックレスだったのでした。
つまりね、
私は差し歯を落としたことを誰にも気がつかれずに、
知らないうちに首から落ちたネックレスを見つけたことで、
路上に立ち止まった”何か落としたみたい”と、ふと口をついてでた嘘が嘘でなくった瞬間でもあったのだから。
帰りの車中???・もちろん大声で笑うなんてことしませんでしたよ。
だってキセキはそうしょっちゅう起こることではないのだから。
その夜はとりあえず、その歯を飲み込まないように眠ることに注意を払っていたことはたしかだったけれど。
おしまい。