じつはね。
こんなにたくさんのコメントが寄せられるなんて思っていませんでした。
mihoさんがおっしゃるように宗教ってとても繊細なことだし、
おそらく私が逆の立場だったら、コメントができたのかどうか疑問でしたから。
昨日、リサイクルショップで買ってきたたんす3つと食器棚の入れ替えがあって、
今、部屋の中が、モノでごった返して大変な状況であるんですが、
夫の帰りが遅くなるとの電話もあったし、
子供にロティ(チャパティ)を焼いてあげて、
作り終えたさといものカレーが妙に甘くって、塩を足したり、
底をついてしまった日本米は、やはり明日の朝には必要なので、
子供に買いに行かせたりしていたところ・・・・でした。
あらためて、たくさんのコメントを寄せていただきまして、ありがとうございます。
私がダダっ子のように、乱暴に投げつけてしまった言葉に対して、
私が皆さんから、いただいたのは綿に包まれたような温かい言葉の数々がほとんどでした。
読解力にややかける私は、
お返事をするタイミングを、失ってしまい・・・
そして、一つ一つのコメントにお返事を書くことを考えただけでも、
あまりのコメントの濃密さに、
たぶん途方もない労力でを要すだろうし、
しかも見当違いなことを書いてしまう恐れもおおいにあるのでありまして・・・
そして、今日も元気だよさんが”アイシャさんこのブログ書くの疲れたでしょ?”とのご指摘の通り、
疲れきっていた私の頭の中は、
まだ、ごちゃごちゃで・・・正直まだ整理できていません。
ああ・・・理論的でないんです。。。私・・・(嘆)
そして、
ブログとしてまとめてお返事を書きたいのには、
もうひとつ積極的な理由もあります!!!
このブログを新しく読まれている方に、”かなりの独断~世界の中の不公平”のコメント欄にもぜひ目を通していただきたいという思いがあるからです。
はじめにイスラム教とは関係のない方々からのお返事は、特にうれしかったです。
関心を持ってくれてありがとうございます。
いただいたすべてのコメントに目を通しました。
皆さんが私のために、読み直して、
言葉を吟味して文章を書いてくださったのがわかるから、
それが、うれしいです。
結論を言ってしまえば、おひとよしさんのおっしゃるように、私のイスラム教があればいいなと思っています。
簡単な言葉でしかあらわせないのは私の性分なので、語弊があるかもしれませんが、
宗教の根本的なところは、仏教であってもキリスト教であっても、イスラム教であっても、枝葉のちがいはあるけれど、おおもとは一緒だと思うから(学校で習った道徳に近いかな?)、良いとこ取りをしたいと思っています。
けれど、コンさんのおっしゃるように、むずかしい現実があることも存じています。
(コンさま、いつも的確な鋭いコメントをありがとうございます)
そしてその枝葉がやっかいな問題ということを実感しています。
私の状況を付け足して書きます。
私は夫からイスラム教に対して疑問をもってはいけないといわれています。
例えば、イスラム教に関しては「どうして○○なの?」とか、「△△はおかしいんじゃない?」とか
聞くだけでもいけないと言われています。
アッラーがそういわれているのだから、人間の脳みそでは考え切れないことだから、疑問をもってはいけないのだと。
それに、イスラム教を棄教すると殺されても仕方がないとか。(←も↑も本当かな?夫だけかな?でも私の友達もそう言われたって)
結婚という形であっても、どういう形であれ、イスラム教徒ではない人をイスラム教徒に改宗させることは、とても徳があることなのだそうです。
そして、彼らは徳云々よりも心から、イスラム教徒に改宗させることができて心からうれしいと感じています。
そして、自分が改宗させた新しいイスラム教徒を正しく、良い信者にしなければいけないという責任をも負うのです。
だから・・・ヒートアップしちゃうのでしょうか?
グリスタンさんが書かれていましたね。減点を考えないって・・・(笑)
うさぎさま、匿名さま
詳しいお話をありがとうございました。世界は広いのですね。貴重なお話をありがとうございました。
yagmurさま
私も、教えていただいた”美しい我儘”が、心に引っかかっています。
素敵なお話ををありがとうございます。
頭の中がすっきりしたら、HPお邪魔します!
amikoさま、はじめまして。
出会いがこんなにむずかしいブログのコメントだったのも、きっと何かの縁でしょうね(笑)。
これからもよろしくお願いします。
同じ宗教でも話してみないとわからないものですね。
でもこういう出会いがあったので、思い切って話せてよかったです。
イランのお話を聞かせてくれてありがとうございました。
そして、amikoさんとモナさんの、子供はぜった~~~~いに渡さないという強い意志は、私の肩の力をぬかせてくれました。
宗教と義務に関しては、たぶん宗教観のかけらのなかった私の幻想なのかもしれません。どこの宗教にも属さなかったから・・・義務という概念自体がなかったと思います。
ハディージャさん、FATIMAさん、グリスタンさん、marryさん・・・ほとんどの方のコメントは自分を責める必要もなく、他人と比べる必要すらないというものでした。
今は心から、落ち着いて、受け入れられます。
imaaiさま、今はイスラム教徒をやめたいとは思いません。
これが、無宗教だった私に縁のあった宗教だと思っています。
心が安らげる時もあります。救われることもあります。
枝葉にこだわらなければ、どの宗教でもおおもとは、心が安らげる道へつながっていると思うから。
枝葉は夫の価値観なんだけれど・・・(困)
りんごさま、
正直言うと宗教のこと真面目に考えたことなかったんです。甘く見てました。
rannmaruさま、
このブログに違和感を感じていたのに、読んでくれたこと、ありがとうございます。
みずかさま、
お久しぶりです。その本を書かれた方とお会いしたことあります。たぶん・・・。
また来てください。
見ず知らずのイスラム教徒の方々を前にして、自分の信仰のことを話すのはとても勇気がいることでした。
だって、私には受け手の方々が見えないから。
気心の知れたお友達とは話すことができる事柄を、
このような状況でで話すことには勇気が入りました。
前置きが異常に長かったですよね?
びびってました。
相手の顔を見て話す時には、私は相手の人の信仰に合わせて話をすることができるから。
自分の信仰心をカムフラージュできますから。
”この人にはここまで話せるぞ”っていう
そういうさぐりを入れることが不可能な状況にあって、
先に自分の思いをぶちまけちゃうっていうことに緊張しました。
だから・・・やっぱり、ムスリム新聞には投書できないな・・・
”信仰が足りない”って非難ごうごうだと思う(笑)。
このブログで吐き出したのは毒というより,膿だと思っています。
毒よりももっともっと奥にあって、
卒業前には出すことのできなかった、
膿を出したのだと思います。
自分でも昔のことなのに、まだくすぶっていたなんて、思いもしなかった。
心情が一番近かったのは、
今日も元気だよさんとNさんでした。
まるで、等身大の自分を見ているようでした。
はなまるです。