言い訳をはじめにさせてもらいます。


とってもむずかしい事柄で、言葉を選んでいたのだけれど、たぶん、それでもおそらくは、表現をするのに適当な言葉が見つかりそうもないので、見切り発車で、書いてしまいます。

たぶん妥当な言葉でなかったり、そしてまた、かなりの独断を交えて書いてしまいます。

つまり・・・ぶっちゃけた話という体裁のまま、勢いで書きます。

いろいろな立場の方がいらっしゃると思うし、私には想像がつかない世界であるかもしれないけれど・・・と

はじめに前置きをさせてください。



二つの事実があります。


ヨーロッパでは男性(ヨーロッパ以外の国籍)がイスラム教徒で、自分がヨーロッパの国に住みたいという下心があった時に、相手の女性が無宗教(一般的にはクリスチャンですが、熱心なクリスチャンでない人は無宗教と表現するそうです)であったとしても、相手の女性に改宗を拒否するようなそぶりがあるときには、改宗をせまらないで結婚することがあるそうです。結婚後も強く改宗を求めないそうです。

つまり・・・・改宗しなくても結婚できるんだそうです。

アフリカ人と結婚した日本人の友人はご主人の宗教を知らなかった。ご主人はイスラム教徒なのだけれど。彼女はごく普通の生活をしています。




ムスリム新聞から、ある方の手紙を抜粋します。

キャンプに参加された方の感想のお手紙から。


~~~参加された方はパキスタン人の方と結婚された方がほとんどでしたが、少なからずの方がお子さんをご主人の国に送られていて、中にはまだ乳児のうちに置いてこられた方もあり、愛する子供と離れて暮らす辛さ、母親として十分なことをしてやれない切なさを堪えても子供のための最善と考えてそのような選択をされた方たちの話(イスラーム教育のためはもちろんですが、それ以上に大家族の中で育つ幸せを選ばれたようでした)には心打たれるものがありました。~~~


この手紙を書かれた方はこの新聞の責任者です。彼女は事実を記しています。子供と母が別々に暮らすことが、いいことなのか間違っているのか・・・そんなことは誰にも言えないし、わからないことだし、彼女の影響力の大きさを考えると上記のような文章しか書けなかったと思うのです。


けれど・・・けれど・・・

私は個人だから思い切って書いちゃうけれど・・・



すっごい不公平だと思う!!!

前者はパキスタンとは違う国なのかもしれない。けれどイスラム教の国なのに、私たちは夫から改宗しないと結婚できないと言われたのに。

イスラム教がそれぞれの国や個人の宗教へののめり具合によって、さまざまに臨機応変がきくことなんて私は知らなかった。


そして、夫の望むように改宗した私を待っていたのは何?

日本ではイスラム教育ができないからと夫国へ子供を送ることが正当化されて、

子供を手放せる日本人の母親は、褒められる。

だから、子供とはなればなれに暮らせなかった私は、夫に責められることで、罪悪感を抱いてしまう。


子供と一緒にいたいって思うのは当たり前だよね?

日本で家族と一緒に住んでいたっていいんだよね?

パキスタンに住めないことを責められてばかりいるから・・・

生まれながらのイスラム教徒でないからとさげすまれ・・・

けれど、それぞれの行いのみを見た場合は、私のほうがよっぽどイスラム的だと思うけれど・・・って感じることはやっぱりいけないのかな?思いあがりかな?


夫の家族は普通に言うよ、『一人ぐらい置いて行きなさい』

もし、自分だったらいやでしょ?子供を置いていけなんて言われたら。

何でこんな小さな子供を置いていかなければならないの?

たとえ、冗談であっても、言ってはいけない言葉だと思うよ。

笑顔でごまかそうとするけれど,ひきつっちゃうんだよ、私は。



簡単に考えずに宗教を変えたことをいまさら嘆いて何になるの?

自分の責任じゃない?

そうです。その通りです。


ただ、とっても不公平だと思ったの。

だから・・・書いてる。


母と子供をあの国へ送ることで、日本で稼いだお金はたしかに残るよね。

日本での生活費とあちらの国での生活費を比べたら、絶対にお得だよね。

子供のみがあの国に送られていたら、母親は離婚もできないよね。

少なくとも私はそうだった。

長女のみがあの国にいたあの時に、離婚したいと思ったけれど、

彼女と一生あえないと思うことが辛くて・・・

彼女が日本に帰るまでは耐えようと思ったから。


長女と長男を小さい時に預けていた時があった。

私も言ったんだよ。

その時に出会った人たちに。

まるで抜け殻のようだった私は、

”イスラム教育のために。語学をおぼえてもらうために。夫の家族が大事にしてくれるから大丈夫”って。

それはね。

自分を納得させるための言葉だったの。

そのために行かせたんじゃない。

子供を手放したんじゃない。

夫が行かせるといったから・・・断れなくて・・・子供たちに泣いてすがれなかった私が・・・

自分を納得させるために・・・夢遊病者のようにつぶやいていた言葉だった。



他の人がうまくやっているのか、幸せなのかなんてわからない。


ただ、私にはそのお手紙を読んだだけでも、あの息苦しさがぶり返すぐらいの思いがいまだにくすぶっている。




だって・・・


だって、私にとっては、禁止事項ばっかりで、私を縛りつける融通のきかないイスラム教が、

一部の人たちには、とても緩やかだなんて・・・・不公平じゃない????



イスラム教徒になったのはそれでいいとして、

でもそれだけじゃ、すまなくて、

どんどん要求ばかりが重なって、

責められて、

できない自分に罪悪感が募るから、

私にとっては息苦しい。




本当は宗教は心が解放されるためにあるんだと思うけれど・・・




私にはまだ何もわからないだけなのかな?


やっぱり・・・私が悪いのかな?


私がいたらないのかな?




ヒステリー調ですね。

ちょっと胸がざわついていたので、乱暴な文章になってしまいました。

今は落ち着いています。

ごめんなさい。