夫が出て行ってから着替えても、今から思えば間に合ったかもしれない。
今更ながらと苦笑しながら、怯えながら、お出かけ用の民族衣装を身にまとい、夫の問いを待った。
末っ子の小学校の入学式と勘違いする夫に、 ”ううん。高校の・・・”と答えた。
その言葉が、どういう波紋を広げるのか・・・そんなことは幾度も幾度も私の中でシュミレーションしたから、私にはわかっていたけれど・・・夫にとっては突然で初めてのことだった・・・
だから当然浴びせられるであろう言葉を私は耳にした。
”どうして言わなかった!受験のことも、入学のことも!お前たちはそんなに偉くなったんだね。俺は家族のために一生懸命やってきたというのに!”
だって・・・・だって・・・・という言葉を飲み込み、私は言った。
”ごめんなさい”
でも・・・という言葉は使えってはいけない・・・入学式にでられなくなってしまうから・・・
だって言える状況じゃなかったよね?
私だけを責めないでよ。
年の暮れにあなたは言ったんだよね。 3月になったら家族全員で日本を引き上げるって・・・
”私は行かない”と言ったら胸倉を掴んだよね。少し上に引き上げながら、こんなに目の前にいるのに大声で怒鳴ったじゃない。
”お前が来ようとどうしようとそんなことはどうでもいい。警察呼ぼうが自衛隊呼ぼうが裁判呼ぼうがお前には1人にも子どもを渡さない”って私を突き放したんだよね。
よろめいた私はずっとずっと不安だった。今でも不安なんだよ。
子供たちも動揺してた。でもそれを父親に悟られたらいけないから、子どもたちは黙ってた・・・それは了解って言う意味ではないんだよ。汚い言葉だけじゃなくって、人の心を慮る術ぐらい身に付けてよ 。
そして、突然”俺たちの家を買ってくる”と言って一ヶ月も○○国へ渡ってしまった。
帰ってきたら年明けに新しい仕事場のために土地を借りたよね。3月に帰る人がなぜ?って思ったけれど、余計なことを言っても墓穴を掘るだけだから、黙って不動産屋までつきあったよね。
末っ子のランドセルを買うことで夫を刺激しないために、上の子のお下がりでまかなおうとしたら、あなたが言ったんだよ”もうすぐ小学一年生だね。ぴかぴかのランドセルを買ってあげる”って。
私と彼女が台所で洗い物をしていたら突然言ったよね”日本の高校には行かせない”って言い出したから、だから、受験のことなんて言えなかった。
その場で断られたら、試験さえ受けさせてもらえなかっただろうから・・・ 断られたのにそれでも試験を受けさせたことがわかったら、もっと大変なことになるの知ってたから、すべて秘密裏にことを進めたんだよ。
家を出る時、リビングのドアをいつもより強く引っ張り、押して、あなたは言った。”覚えてろよ!”
だから・・・・このあたたかい春の日に高校につらなる道の桜は満開の木も混じってたりしてとってもきれいだったし、強い風もとても心地がよくって、感激したいのに、心のどこかで引っかかってたよ”覚えてろよ”
ねぇ、あの時のように忘れてくれないかな・・・
何年も前に、私の胸倉をつかんでリビングから廊下へ押し出したよね。
それでも入っていく私を、同じように押し出して、都合3回それを繰り返したら、怒鳴ったよね。
”この家も土地も金も全部やる!オレは出て行く!!!”って車を急発進させて出て行った。
うれしくってね~~~~~どうしても顔がにんまりとしちゃって~~~解放された~~~~ってなんともいえないくらい幸せだったんだよ、私。
幸せすぎてボーっとしていたかったから、すぐに銀行に行こうって気にはならないでいたら・・・
何時間後の夕方に普通に帰ってきてしまったんだよ・・・・・ ねぇ、なんで帰って来ちゃったの???
自分のしたことって忘れちゃうでしょ? 私はたくさん覚えてるよ。
そのときの原因はあなたが弟を日本に呼びたいって言ったから、私が遠まわしに傷つけないように断ったんだよね。
ねぇ・・・・さっきの電話は何を意味しているの? 旅行代理店の電話番号を私に聞いたりして・・・”
それが”覚えてろよ”と関係があるのかな・・・?
もう、限界だよ、わたし。 << HOMEへ戻る