そして・・・

 

 

1年前の病院で夫の病気が発覚した。

 

病名に癌という文字がついていないので、語彙の豊富な夫としてもそれがどういう病気か知らなかった。

 

私はただ、恐ろしい病気だということを、以前その医師から”ごくまれにそういうケースもある”と前置きをつけられて聞かされた病名だったので・・・おおよその怖さを知っていた。

 

その病名が告げられた時、夫のそばに立つ私は血の気の引いた様子だったのか、頭に血がのぼった様子だったのだろうか・・・医師に”奥さん大丈夫ですか?”と声をかけられた。

自分の体の写真を見る夫は、ことの重大さを知ってか知らずか、”ねえ、こんなに大きなしこりがおなかにあったなんて知らなかったな~”と写真に見入っていたけれど、相槌を求められても私は視線を落とすことしかできなかった。

握りこぶし大のしこりが尿管を包み込み、それに連なる腎臓はたまった尿で風船のよう膨らんでいたことを告げられた。

 

 

何も知らない夫がこの病気の恐ろしさを知った時にどうするのだろう?

うまく伝えなければ・・・彼のショックが少ないように話さなければ・・・

頭の中がいっぱいになった。

 

 

 

帰宅してから私は寝込んでしまった。

 

 

だんご虫のように背中を丸めて、まあるくなって・・・外からやってくる得体の知れない怖いものから身を守るように・・・外からの刺激をうける表面積を小さくするように・・・布団の中でちじこまって・・・・泣いて眠った。

 

 

私が”死ねばいい”と念じたからこういうことになったのだろうか・・・とは思わなかった。

 

今までの天罰があたったのよ・・・とも思わなかった。

 

代われるものなら代わってあげたいと願った。

 

 

常日頃から夫に”何もできない”って言われてきた私は、私のような無能な女が、代わりに死んだ方が子供たちにとってもよっぽどましだと思った。

だから、この人を生かして欲しいと願った。

 

 

そして・・・

 

もし夫の命が短いのであれば、最後まで子どものそばにいさせてあげたいと思った。

 

 

 

 

 

抗癌剤治療が始まった。

一ヶ月の入院。

通院しながらの抗癌剤治療。

 

 

一応の腫瘍の消滅と再発を繰り返しやすい病気だと医師から伝えられた。

 

 

 

 

 

 

だから・・・

 

某施設に自分の身の上の相談に行った時に、夫のおそろしさと私の命の危険と子供の誘拐の恐怖とこれまでの積み重ねのあらゆることを語り終わったときに、

 

彼女が”それではご主人が入院されている時に逃げたらどうでしょう?”と提案されたとき、

即断で断った。

 

 

”そんなかわいそうなことはできない・・・”

 

 

だから・・・

 

こんな生活を続けてきてしまった。

 

いくらでもチャンスはあったはずなのに・・・

 

ただただ、いたずらに日々を過ごしてしまった。

 

今日を乗り切ろう。

 

たとえ嵐や爆弾が待っていても・・・

 

 

 

私が突然夫の前から子どもを連れて黙っていなくなったら・・・彼はどうするのだろう????

 

自分に罪悪感がない人だから、夫には私の痛みも苦しみもわからないのだから、突然の事態に彼は理解できなくて、頭がおかしくなってしまうかもしれない。

彼の病気が悪化して命を縮めてしまうかもしれない。

そんなかわいそうなことはできない。

 

 

だから・・・

 

逃げなかった。

 

 

 

 

 

 

そして・・・

 

”死んでしまえばいい”と夫をうらんでいた他力本願で受身の私がこのブログを書くことで自分の尻に火をつけた。

 

いつも夫に狭められたこの場所を去るために。

 

新しい居場所を探すために。