ガラス性結晶の“静かな動き”を聴く — NMR(ЯМР)で見つけた哲学
京都大学大学院にいた頃、私は固体NMR(ЯМР: ядерный магнитный резонанс)を使って、
「ほとんど止まっているように見える分子が、実はどのように動いているのか」
という、とても静かで深い世界を研究していました。
対象は CD₃C₆Cl₅ というガラス性結晶。
結晶でありながら、ガラスのように分子運動が“凍りかけている”不思議な物質です。
■ 研究の核心 — 静止と運動のあわい
ガラス性結晶の分子は、
止まっているようで、実は止まっていません。
その“ほとんど動かない動き”を捉えるために使ったのが、
重水素選択励起・四極子秩序交換NMR(ЯМР) という手法でした。
これは、重水素(²H)の特定のスピン状態だけを励起し、
その後に起こる 四極子秩序の交換 を追跡することで、
超低速の分子運動 を検出する方法です。
普通の測定では見えないほど遅い運動。
その世界を、NMRという“耳”で聴き取るような研究でした。
■ 哲学的に見ると、この研究は何を語っているのか
1. 静止と運動の境界 — “граница между покоем и движением”
分子は止まっているのか、動いているのか。
その境界は、実はとても曖昧です。
ガラス性結晶は、
秩序(порядок)と無秩序(беспорядок)
が同時に存在する世界。
その曖昧さを測定することは、
「静けさの中にある動き」を理解することでもありました。
2. 観測できない運動も存在する — “движение существует, даже если мы его не видим”
NMR(ЯМР)は、
時間の底に沈んだような遅い運動
を引き上げてくれます。
哲学的に言えば、
「観測されないものは存在しないのか」
という問いに対して、
“存在する。ただ見えないだけだ。”
と静かに答えてくれる技術です。
3. 無秩序の中の秩序 — “порядок в беспорядке”
ガラス性結晶の分子運動はランダムではなく、
ゆっくりとした規則性 を持っています。
四極子秩序交換は、その微細な秩序を
“聴き取る”ための方法でした。
これは、
混沌の中に潜む秩序を探す
という、科学と哲学の共通テーマに通じます。
4. 観測者は現象の一部 — “наблюдатель участвует”
NMRの測定では、
観測そのものがスピン系に秩序を与え、
その秩序が交換される様子を観測します。
つまり、
観測者は中立ではなく、現象の一部になる。
これは量子論の哲学にもつながる深いテーマです。
■ この研究が教えてくれた世界観
- 静止と運動の境界は曖昧(размыта)
- 見えない運動も確かに存在する(скрытое движение реально)
- 無秩序の中にも秩序がある(порядок в беспорядке)
- 観測者は現象に参加している(наблюдатель участвует)
- 遅いプロセスは世界の深層を映す(медленные процессы — глубокие процессы)
私にとってこの研究は、
単なる固体NMRの実験ではなく、
「世界の静かな動きを聴く哲学」
そのものだったと、今になって思います。
