空中ブランコ -4ページ目

さして書くような事もないのですけど

もはや読んでいる人が居るのかどうか怪しいこのブログですが。



まず告知。

明日の8月7日(水)、22:00からフジテレビ系で放送の「ショムニ2013」の四話、脚本を担当させて頂きました。

監督は以前「世にも奇妙な物語2012~秋の特別編~」の「蛇口」でご一緒させて頂いた、佐藤源太監督です。

「蛇口」の演出が素晴らしかったので、今回もとっても楽しみです。



また、現在発売中のちゃお九月号の「ドーリィ♪カノン」二話のドラマ脚本も担当しております。

っていうかコレは全話書いてます。

http://www.dolly-kanon.com/

公式サイトにて、一話が無料配信中なので、まだ観てない方は是非!





さて、暑い日が続きますなー。全く仕事がはかどらず、半泣きでこの記事を書いています。

外の気温とは裏腹に、エンジンはなかなか温まらない。



1月末から怒涛の仕事ラッシュで、「ドーリィ♪カノン」「たべるダケ」「ショムニ2013」と、三本の作品に関わらせていだだき、過労でヒーヒーからの発表ラッシュで浮かれていましたが、やっと最近、諸々落ち着いてきました。

(他にも並行してやってたし、信じられない理由で一年やってた企画がポシャッたりしたけどな)

過労の為、ゲロ吐いてダウン、という事が三回程ありました。やっぱ多少の休息は必要よね。



で、実は九月から、クリエイターの友人ら五人と、ハウスシェアをする事になりましてですね。

日々の仕事の合間にダラダラ引越し作業をしている為、部屋がドブみたいです。

なので毎日部屋から脱出して、仕事をしています。



この歳になって他人と暮らすという事なんて想像もしてなかったし、正直「絶対無理」とか思ってたんですけど、何か流れでそういう事になりました。

そして今はそのワクワクで、仕事が手につきません。

第一陣は既に引越し済みで、新居で楽しく暮らしているようです。



私の部屋は地下一階(実質ただの一階)なのですが、ちっこい中庭みたいなのがあり、そこで家庭菜園をするのが本当に楽しみで楽しみで。

あと私の部屋には広めのウォークイン・クローゼットがありましてですね、これがもう何て言うか、「プライベート・ネットカフェ」にピッタリ。

荷物を運び込めば多分、普通のネットカフェくらいの広さになるんではないだろうかと予想しています。


という事で、ウォークイン・クローゼットを仕事部屋にする事にしました。


部屋も今より広くなるし、お風呂も広くなるし、一軒屋だし、全員クリエイティブ職のハウスシェアとか超オシャンティーじゃねー?

って事で私は誰が何と言おうとリア充です。






最近ね、三日に一回くらいの頻度で、「脚本家やめたい」と言っています。

誰か止めてください。





上京ノスタルジー

大学時代からの友人・福子が上京するので、久々にYUIのTOKYOを聴いた。
上京した当時の事を、久々に思い出す。


私は兵庫県の姫路市という、ヤンキーとお城の町で生まれて、23歳までを姫路の実家で過ごしました。

六年間一貫の女子校に入り、映像系(しかもCG系)の大学を卒業した後は、一瞬だけWeb系の会社に就職したのだけど、結局研修期間が終わるのと同時に、辞めてしまいました。
(向いてなかったしつまんなかった)

その後はのらりくらりと週二回くらい派遣バイト行って、一年くらいはろくに働きもせず、酒飲んで暴れてました。

そんな中、「お前暇やろ?」と、大学時代の恩師に頂いた、中国・大連での仕事(当時ただのフリーターなのに、スチール件動画撮影、構成・編集、完パケまで、という、今考えるとありえない仕事。でも自由に何でも作れる企画だったから、今なら逆にやりたい)を経て、なだれこむ様に恩師と大学の先輩たちで構成される映像制作会社に入りました。

日本で五本の指に入るファザコンの私が、父と大げんかをして、大阪に出て二年、Webとかデザインとか映像とかやって、でもやっぱ実写の映像がやりたくて、地方からそういうのに関われるのはシナリオだけだと気付いて、諦め切れなくて、仕事の合間に二ヶ月かけて、生まれて初めてオリジナルの長編シナリオを書きました。
それを、映像を志すきっかけになった岩井俊二監督主宰の、シナリオコンクールに送りました。

これがたまたま岩井さんの目に留まって、私は上京する事になりました。
それまでも自主映画は撮ってたけど、シナリオなんて、大学一年の前期にちょろっと授業受けただけだし、撮って編集する為だけに超テキトーに書いてただけだし、書くのめんどくさい、誰か書いてくれ、としか思ってなかったのに、今じゃそれでご飯食べてるし、人の人生ってわからん。

「上京してうちで働きながら学びなさい」と言ってくれたのが、憧れの岩井さんじゃなかったら、私はきっと上京しなかったと思う。

岩井さんには一ヶ月の猶予を貰ったのだけど、あの時上京を迷っていた私の背中を、「キミはやらなかった事を一生後悔する人だから行きな」と言って、ドンと押してくれた当時の恋人には、今でも感謝してます。

なんか「えいやっ!」って勢いがないと人って動けないけど、迷いがあるならやっぱ動いた方が後悔は少ないと思う。

人生は一度きりだよな、と、あのアホみたいにテキトーに暮らしてた時から十年経って、改めて思います。

上京が決まり、バタバタと決めた部屋に私は今も住んでる訳ですが、でも住めば都で、近所には今井くんがいて(撮影時に家が近所と発覚して仲良くなった。きっと私がこの部屋に決めてなかったら、「ゼツボー荘より愛を込めて」は生まれてない)、苦しい事も楽しい事も沢山あった部屋を、来月いっぱいで引き払います。

二十六歳の丁度今頃、実家から最寄り駅までの車の中、私はしゃくり上げて泣いていた。
これでいいのかな?大事な人を沢山残して、私は何かを成し遂げる事ができるのかな?って。
何も成し遂げられていないけど、今の私は一切後悔してない。

そして話は冒頭に戻る。
福子は、才能がありすぎるので、無理矢理説得して上京を勧めました。
福子は絶対後悔しないと思う。

YUIのTOKYOが染みるなあ。





三つ子の魂百まで。

私の記憶力はポンコツです。
中でも「名前」を記憶するのが一番苦手です。

最近わかってきたんですが、特に「石」という字のつく苗字が苦手なようです。
「石」とつくと、とにかく何が何だかわからなくなるみたい。

以前、知人の結婚のニュースを知った時、
「石田くん!ご結婚おめでとうございます!」
というメールをした所、
「わざわざありがとうございます。でも僕は石井です」
という返事がかえって来た。

先日「石」の付く初対面の人と焼肉を食べていた時も、何度か「石井」と「石田」を間違えて呼びました。
結局どっちだったのか微妙です。

そして先日までご一緒させて頂いていたプロデューサーも「石○さん」。
しかし何故か私の中では「鈴木プロデューサー」という印象があり(謎)、いつも一瞬考えてから「石○さん」と呼んでいました。

で、「ゆりこちゃん」と「ゆみこちゃん」も、何が何だかわからなくなる。
未だに一瞬考えないと呼べない。

で、ふと思い出しました。
保育園の年少さんに入ったばかりの頃、多分私が先生に初めてした質問。

「たかしくんとたけしくんは同じ?」

いや違う。全然違う。別人や。

基本頭とおしりが一緒なら同じ、と捉えがちなようす。それは三歳の頃からかわらない。


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先日、ACIDMANのライブに行ってきました。
一身上の都合によりアリーナとかスタンディングが苦手な私にとっては一番有難い、二回席最前。
ひたすら見入ってしまったし、聴きたい曲も聴けて嬉しかったです。

ちなみにこの日現地に到着してすぐ、「受付で○○という名前を言って入ってください」と連絡を受け、

この写真を撮ってる三分くらいの間にその苗字を忘れて、受付前で連絡・確認。

やはり「石」の字が入っていた。